1945年(昭和20年)8月6日の広島市に投下された人類初のウラニウム型原子力爆弾『リトルボーイ』の投下に続いて、1945年(昭和20年)8月9日に長崎市に、戦争における人類初のプルトニウム型原子力爆弾『ファットマン』が投下されてから74年を迎えました。≫
戦時下とは言え、普通に考えれば、戦争実績のある爆弾を再度投下することは、戦果を考えれば、止むを得ず納得は出来ますが、敢えて異なる爆弾を投下したと言うことは、これは実験にほかなりません。
(広島に原子力爆弾を投下したアメリカのB-29(エノラ・ゲイ(Enola Gay))は有名ですが、長崎に原子力爆弾を投下したのはアメリカのB-29(ボックスカー(Bockscar))です。)
戦時下とは言え、悲惨な実験を行うとは。。。
我が国の、第二次世界大戦中の行為を批判する意見がありますが、戦敗国とは言え、そこまでされても良かった状況だったのでしょうか。
(特に、民主主義を達成していない国々に、色々と言われるのは、中々承服しがたいですなぁ。)
近年、ハル・ノート(Hull note)の存在が注目される様になり、日本が一方的に開戦した訳で無いとの研究も有る様です。
(地理的に近い隣国においても、近年は誤った歴史認識を進展させる様な動きもあります。)