こんにちは(^▽^)/
しほママです。

 

おひさしぶりの投稿となりました。

その間応援してくださっている皆様、本当にありがとうございます。

 

その後、娘は毎日東京までの、

朝早くから夜遅くまで片道2時間通学に耐え、

 

友達と遠方のライブに宿泊を兼ねて行ったり、

昨日も東京までライブに出かけ、お台場で楽しんできました。

 

バイトも土日毎週続けて7時間労働をこなし、休みなく働き、

お小遣いも自分で自由に使えるようになりました。

 

娘は楽しい大学生活を送っています。

 

今日は、成人式で晴れ着を着て、

出身中学校の体育館で行われる式に出ています。

 

朝の7時からヘアセットと着付けをして、

私の母が買ってくれた、私が20歳の時に着た振袖を着て、

写真を撮って出かけて行きました。

 

私の振袖はほとんど傷んでおらず、

貸衣装にするか、それとも私のお古ではありますが、

 

どっちがいいかと聞いてみましたが、

私の振袖の色が薄いパープルの洋柄だったので、

 

パープルが好きな娘はこれでいいよと言ってくれたので、

申し訳ないけれど、それを着てもらいました。

 

朝、着付けを終えて部屋に入ってきた娘を見た時は、

本当に嬉しかったです。

 

可愛く着飾った娘を見る母の心はこうだったんだなと

私自身、母の気遣いや気持ちを感じ取る事が出来ました。

 

厳しかった母の愛を、今更噛みしめています。

 

当時バブル期でそれほど高くはなかった着物と帯ですが、

当時の数十万は母がパートをして買ってくれたもので、

決して安くなかったはずです。

 

今はフルセットレンタルでも高いので、

親のありがたみを改めて感じた日でもありました。

今回は、私のお古を着てもらいましたが、

卒業式の時には、娘の好きな袴を着てもらおうと

決意を新たにしました。

 

今思う事は、母が振袖と帯をそろえてくれた時、

『あんたには何もしてやれなかったから』と一言、私に言った事を覚えています。

 

それが何よりの母としての想いと罪滅ぼしだったのかもしれません。

それですべてが消える訳ではありませんが、

 

せめてもの想いを形にしたものだと感じました。

今私が娘にこれだけのものを買ってあげる事が出来なかった事を思うと、

 

お金をかけてくれたという事に愛を感じました。

 

お金=愛だと、改めて感じています。

 

娘や息子に人並みの事をしてやりたいと

改めて決意しました。

 

不登校で辛い思いも抱えていた娘ではありますが、

今が楽しいと言います。

 

このような日が来るとは、当時は分かりませんでした。

不安ばかりで、娘の将来が信じられなくて歯がゆい思いが多かったので、

 

どうか、そんな過去がありながらも、

大きくなったら何の問題も無くなるのだと、

 

今辛い思いをされているママさん達にお伝えしたいと思います。

 

時の流れだけでは解決しないと色々と改善する方法を探し回り、

母として親としての在り方接し方を模索し、

 

やっと高校進学し、大学受験も公立は難しかったのですが、

今の大学が本当に娘に合っていた事は、

 

行ってみないと分からない事でした。

 

成績表もほとんどがAで、おそらく

本人が望んで学んでいるので、成績も良いのだろうと思いました。

 

次の人生の扉を開ける時の怖さはありますが、

開けて入ってみるとそこでは歓迎されていたというストーリー、

 

先生に気に入られて声をかけられるようになった娘の努力と才能に

親の私でも感心しています。

 

私以上になった娘が誇らしく、小中学生の不登校の時は

そんな気持ちになる事はありませんでしたが、

 

夫と私の良いところを重ね合わせて、

ハイブリッドで生まれてきて、

能力を発揮してくれているんだなと感じます。

 

20歳になる時、振り返って感じる事は、

辛い時も長かった分、嬉しさはひとしおだと思います。

 

サッカーをしている息子も今年、高校三年生になり

昨年は高校サッカー選手権大会で良い成績を残す事はできませんでしたが

レギュラーになってセンターバックのディフェンスから、

 

ボランチの攻撃のポジションに変えてもらい、

 

今、練習を重ねているところです。

 

今日は、夫の母校で練習試合をするために出かけて行きました。

 

二人とも、今親がいなくなったとしても、強力して生きていける程

立派に育ってくれたなと感じています。

 

ごく普通の事かもしれませんが、普通の事が普通でない、

ありがたさと感動を覚えます。

 

私より賢く生まれてくれた娘と

私と夫にはない強靭な体力と気力を備えた息子が

 

私と夫の代わりに次世代を担ってくれることを

感じています。

 

子育ての節目として、親の役割が終わる頃を感じる一日でした。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。