私の今身体にあるエネルギーはとてつもなく少なく

ちょっとした事で落ちたり、イライラしたり

浮き沈みが激しい。


数年前に初めて聴いたSyrup16gの曲

鬱ロックと言われてるらしいけど(笑)

私には嘘がない心の叫びに聴こえる

そして、ギターのメロディと音色は

心にスッと入り込み、時を忘れるほど聴き入ってしまう。

歌詞は、自分の心を代弁してくれているように

時に悲しくもなり、時に自分を重ねてみたり、

リアルそのもの。

まさに私にとっては心で感じる音楽。


痛みが終われば優しくなれる

これはI'll be thereという曲の歌詞の一部

希望のない毎日でも、ダメな自分でも

日常は続いていく

おそらく一生抱えていく、孤独、憤り、後悔、やるせなさ…

それでも、ここではない何処か…を


痛みを無かったことにするのはおそらく無理

でも、それに囚われずに生きることは出来るはず


もう1人で生きていこうって。覚悟も出来てるって思ってたけど、私は弱かった…

支えてくれている人がいるからこその自分であり

自分を癒すことができるのは自分であり

自分にどれだけ優しくなれるのか…というのが

今の自分にとっての命題であると思っている















コロナにかかる人が増えて、フォローする仕事が増えてちょっと忙しすぎてイライラする上に

勘違いパートのせいで私の心のバランスは完全に崩れてしまった。

今、色々と自分の中で変わってきたこと、学ぶことで新たに新しい気持ちで…と思えてきたのに

私は初めてパートさんに対してやっちまった…のである。

怒りを抑えることができずに、机を叩くという

とんでもない行為を…

またやってしまったと…ここまでストレスかかったんだと許してまたやり直せばいい…

そう言ってくれる人がいる。

その通りなのだ。私もそう考えて前を向かなければいけないと思う。

なのに自分を許せないと思ってしまうことが、またストレスとなって身体に現れる。悪循環の沼にハマっている。


私は今何を学んでいるのか…

自分が変わらなければ前には進めない。


自分と向き合うことはとても苦しいと感じる。

最低な自分に失望したり、自分には決定的に何か欠落しているんじゃないかって考えてしまう。


これでは何も変わらない、自分は変われない。

年老いた母に対してもキツく当たってしまう自分。

父の時と同じように、失ってまた後悔するのか?

優しくいたいと思うのに真逆な自分との戦い。

失うことの恐怖との戦い。

過去に囚われ続ける人生をまだ送りたいのか…


自分に向き合うとことは並大抵のことではないと

この歳になって初めて知ったことかもしれない。


やりたいことは何か、自分にとっての幸せって何か

今はまだ何もわからない。

ずっと目を背けて、寿命まで後何年かななんて思い続けていただけだった自分だったし。


でも、見つけたいないつか。

今孤独に苛まれる時もあるけれど

私は独りではないはずだから。


悲しい出来事が起こった時

時間が癒してくれるとか

時間が忘れさせてくれるとか

時間が、時間が…と何人もの人に言われた

そんな記事もよく目にした

でも、私にとってのその時間は

私を癒してはくれなかったし

その悲しみは残り続けたまま


もうずいぶん昔のことだけど

私は大切な人を亡くした

彼は彼の人生を精一杯生きたけど

無念だっただろうと

私は数多くの後悔を抱えながら生きてきた


気付けば50代半ば

私は自分のための人生を生きていなかった気がする

自分を大事にすること

自分を許すこと

自分を愛すること

私はこの歳になって

やっと考えることを始められた気がする

人との出会いって本当に奇跡で

自分のことを誰かに話すことによって

自分の心のうちがわかってくることもある

今の出会いに感謝して

私はこの先

自分のために生きたいと強く思う

体の不調や、会社での色々と戦いは続くけど

時には逃げてしまってもいい

プライドも捨ててしまってもいい

それは恥ずかしいことではないと今は思える

色々なことに囚われ続けていた長い年月から

少しずつ脱却できたらいいと思う