東京に住む独り身の長兄が11/18(金)に亡くなりました。享年55歳。
 
長兄は11月の頭くらいからこちらの実家に10年ぶりに帰省していたんですが、17日(木)に東京へ戻り
その翌日に亡くなったそうです。
私がその報せを聞いたのは鹿児島への日帰り出張の帰り道。母からのTELでした。
東京へ戻った翌日ということで、私はてっきり
自殺かと思い「ヤツにも繊細なところがあったのだな」ぐらいに思ったんですが単純に病死でした。
地元土産を友人に渡して近所の公園のベンチに座っていたら急に様子がおかしくなり倒れたそうです。
ちょうど数人、一緒にいたのでその方々が救急車を呼んでくれ病院に運ばれ、亡くなったようです。
 
実家に帰省したのはてっきり父が長くないからかと思い込んでましたがなんと自分の死期を悟ってのことだったんでしょうね。
 
 
 
次兄が神奈川に住んでいるので、病院・警察・市役所など行きすべての手続きをしてくれました。
一番大変だったのは長兄が住んでいたアパートの片付け。かなりの汚部屋だったそうです。
独り身なのでモノ自体は少ないけれどとにかくあまりにも汚いためそれなりにキレイにしなければ、と
義姉と二人でせっせと2日かけて片づけてくれたそうです。感謝です。
そして検死からの火葬ですが、いまコロナのせいで火葬場渋滞で何日後に火葬できるかわからない、とも言っていましたが11/29(火)の午後に火葬が決まったと連絡を受けました。
 
 
私は長兄・次兄ともに仲が良くなく、特に長兄は同じ兄弟と思いたくないほどむしろ「嫌い」な人物ですが
やはり独り身で亡くなったとあれば遺骨問題がでてきます。
 
いまや両親はとてもじゃないけど飛行機に乗って東京へ行くなんて苦行はムリです。
 
母いわく、数年前に私が「アンタらもう歳だしとてもじゃないけど長兄が死んでも骨を取りになんて行けないだろうからその時は私が行ってくるよ」と言っていたそうで
私は「そんなこと言ったっけ??」と思いましたが言いそうな事なのでおとなしく行ってきました。
 
11/29、昼頃羽田到着。次兄と義姉が迎えにきてくれました。
羽田で喪服に着替え、そのまま多磨霊園へ。

 
多磨霊園すごいね!でかいね!ビックリしたよ都内にこんな広大な霊園があるなんて。
三島由紀夫や樋口一葉など著名人も眠っているそうな・・・。
 
 
なにしに霊園に行ったのかよくわからなかったけど次兄いわく「葬儀場の人とここで待ち合わせだから」ということでしたが間違いで、ここの少し先の火葬場(日華斎場)で直接待ち合わせでした 笑
次兄のやりそうなことです。
 
火葬場に着くとちょうど遺体が到着したとのことですぐ火葬へ。
最後に棺の中の長兄を見ましたがやはり老けてました。だって最後に会ったの10年くらい前だしね。
今にも目を開けそうなくらい、本当にただ眠っているだけのような顔でした。
まぁウルッともきませんでしたが。
 
待合室で次兄と義姉と手続きのことや片付けのことなど色んな話をしている間にソッコーで焼き上がり骨上げしました。
長兄は若い頃からの不摂生で骨は残ってないんじゃない?と話していたのに焼き上がったそれは理科室でよく見たアレと同じく頭からつま先までしっかりと全身残っていて一同ビックリ。
標本のようだ・・・と思いながら次兄と一緒に箸で足の骨を掴み骨壺へ収めました。
 
ここで豆知識。というほどのものでもないけど今回初めて知ったことをひとつ。
 
東日本と西日本では骨壺の大きさが違う、ということ。
東日本(東京の場合)は7~8寸、
西日本(九州の場合)は5~6寸が一般的なサイズらしい。
 
道理でデカいはずだ・・・こんなデカい骨壺見たことないぜ・・・という感想でした。
 
それだけ大きな骨壺にも関わらず長兄の骨は全身ガッツリ残っていたため入りきらず、途中で砕きながら収める始末。
最後に頭蓋骨を入れたときにはもうパンパンで、やっと蓋を閉めました。
 
遺骨を九州まで持ち帰る、という話をしたらキレイに風呂敷包みにされた遺骨を更に目立たないようにバッグに入れてくださいました。
 
ホテルで撮ったものですが・・・。
 
これならただの荷物にしか見えなくて周りに対してもいいですね!
そのほかにも、気遣いの素晴らしい斎場でした。大変お世話になりありがとうございました。
 
 
火葬場を出て、この日何も食べていなかった3人は近くのロイホへ。
 
 
ガッツリご馳走になりました。
 
それから次兄の住む海老名へ高速で1時間ちょっと。
海老名駅東口の東横INNにチェックインして着替え、夜は次兄と居酒屋でも行こう!と出かけました。
 
海老名駅って大きいんですね!人口はさほどないと思うんだけどそれにしては大きいと思います。
 
 
疲れてたのでそこらへんの手ごろなお店に入り
 
 
ロイホで食べたのが17時頃だったのでお腹も空いてなく、ビールとこれだけでした。
白子んまかった~デレデレ
 
 
しかしこの居酒屋がクッッッッソほどうるせえ客ばかりで、対面で話す次兄の声が聞き取りづらい。
私も大声上げないとお互い聞こえないくらいホントにうるせえ若者に囲まれうんざりしたのですぐに出てサンマルクカフェに移動、今度はあまりの静けさにヒソヒソめに話しました 笑
 
お互いの仕事の話、娘たちの話(次兄には娘が2人)、両親の話、義姉の話、長兄の話などなど
こんなにゆっくり次兄と話したのは1999年末~2000年始に家族総出で次兄一家に会いに来たとき以来約23年ぶりです 笑
元そこそこモテボーイはすっかり頭の薄くなったオッサンになってました。まぁ私も負けず劣らずもれなくオバハンですけど!
 
「時の流れを感じるわぁ~ねえ兄~?」とか絡み、久々に会った妹にまんざらでもない兄は終始ニコニコしてなんか嬉しそうで普段おとなしいくせにやたら饒舌でしたニヤリ
 
 
私が来るからと翌30日も休みを取っていた次兄は「朝からスロットに並びたい!オマエがいるこんなときしかパチできない!」と普段財布を握られてる憂さを晴らすかのように言ってきたので一緒に開店待ちしました。
開店待ちなぞそれこそ何年ぶりだ・・・
結果、二人とも負けたんですけどねw
まぁ良い。兄とパチに行くのも2000年ぶりだし。
 
そして海老名駅で別れ、私は羽田へ。
 
羽田けっこう空いてました。
 
おなかすいたので稲庭うどん。
 
 
夕方宮崎に着き、遺骨を実家へ持っていきました。
 
遺骨を見た瞬間、母号泣。
あ、やっぱ泣くんだ。と思いましたがそりゃそうだよね。
勘当同然のロクデナシの放蕩息子でも腹を痛めた子だもんね。
16歳で生んだ初めての子。
手探りで育児したかわいい子だもんね。
イヤ冗談抜きに三人兄妹で赤子の頃は長兄が一番カワイイ顔してます。くっそ!なんでやねん
女の子みたいなカワイイ顔してるんです、写真では。それがどう育ったらこんな仕上がりに・・・
 
父は血の繋がりがないからか、それとも早くから長兄に対しては諦めていたからかビタイチ泣いてませんでした。
※ 長兄と次兄は前夫の子です ※
 
49日間は仏壇に置いて毎日朝晩線香あげてやって。と伝え、帰宅したのが21時回ってました。
 
は~疲れた!
 
何が疲れるって骨壺がとにかくデカいし重い!!
持って行ったキャリーケースより重い!
それ持って横浜駅の乗り換えに階段しかないっていうのが辛かった・・・
 
でも帰りの機内でCAさんが隣の座席に骨壺バッグを置いてシートベルトまでしてくれました。
噂には聞いてたけど本当にやってくれるんだ~とこれまた行き届いたサービスに感謝!
ありがとう、ソラシドエア・・・お願い
 
ここでまた豆知識。
 
飛行機で遺骨は手荷物として機内持ち込みしますが、手荷物検査場に行くとバッグを見ただけで
「ご遺骨ですね?検査を通さずにこのまま手に持ちゲートを通過してください」って言われたんです!
このバッグが遺骨というのを知ってるということと、遺骨は検査しないということにちょっと驚きました。
初めて知ったよこのシステム・・・。
だからどうというわけではないんですがね笑
ちょっと戸惑いました。
そしてゲートでピーっとか鳴るしw
まぁ腕時計だったんですけど。気まずいw
 
この話、結構周りの人も知らなくて「へえー!遺骨ってそーなんだぁ」と言われるのでネタにしました。
 
あ、あと遺骨はゆうパックでも送れます。
 
もし今後ご遺骨を移す予定のある方はご参考下さいニコニコ
 
 
以上、「長兄の遺骨を実家に持ち帰る任務」完了です。
長兄よ安らかに!