フジコ・ヘミングのソロコンサートに行った。



この色彩感覚よ…










気がつけば、コロナ前に米津玄師に行って以来。
久しぶりのコンサートだった。
やはり生音に勝るものはないと思う。










仕事を早退し、休憩無しで高速を3時間弱。
(やればできる子!)
奇跡的に駐車場が見つかり、
会場までダッシュした。
身体が喜んでるのがわかった。
そうだね、そうだね、
何年も前から来たかったんだよね、
ようやく連れてこれたね。
自分との約束を果たせるって嬉しい。




















チケットは奮発してSS席。
ちょうど手元がよく見える角度でワクワクする。









ホールが暗くなり、フジコさんが登場した。
杖をつき、男性に支えられてゆっくりと現れた。
大御所の魔女のように、厳かに。
しかし、明るくなったステージにいたのは、
白髪、白い肌、白い衣装で微笑むチャーミングなフジコさんだった。
お人形みたい。









一曲目のシューベルトが始まった途端、
嬉しくて涙が出た。









音は柔らかくて優しくて、
高山の清流が静かに流れてくるよう。
澄んだ水に映る空の青や木々の緑が、
たくさんの粒になってこちらに流れてくる。
前に読んだ「羊と鋼の森」を思い出す。
フジコさんの音には
羊と鋼、両方いた。
柔らかくて、
優しくて、
軽やかで、
弾むようで、
重くて、
深くて、
安らかで、
温かくて、
穏やかな、
音、
音、
音…







素人の私でもわかるような音の間違いもあったけど、
それすらも味わいたくなる。






「体調が悪くて。音が聞こえないんです。上手く弾けなかったらごめんなさいね」
そう言われて驚く。
聞こえない音を奏でる。
それはどんな感覚なんだろう?
味のわからない料理を作るような、
見えない絵を描くような、
そんな感じだろうか。
それって楽しいのだろうか。
でも、お客様のために!という気負った重さは全く無くて、
まるでお話しをするように軽やかな演奏だった。









ショパン、モーツァルト、
私も知っているくらいの、有名な曲が続く。
人によってこんなに音が違うのか。
知っている曲なのに、色が違う。
音が頭と首の後ろから入ってきて心地よい。








フジコさんはマイクはあれどほとんど話さず、
ひたすら演目を進める。
一曲終わると軽く会釈をされ、
ふぅ、と少し俯き手を休める。
背中を丸めて小さく座る姿が、
叔母の後ろ姿と重なって、色々思い出してしまう。
少し、痛い。
と、不意に手を伸ばして曲が始まる。
背中を丸めたまま、
手だけが鍵盤の上で激しく動き続ける。
譜面もなく、
まるでフジコさんの身体から曲が出てくるような、
そんな感じがしてくる。
無心の演奏は
命を燃やしているようにも見える。








若い演奏家の
私の音を聴いて!という
(良い意味での)自己主張とか
聴衆に向かってくるエネルギーは無くて、









フジコさんの音は、
どんどん潜っていく感じ。
深く、
深く、
深く、









若い演奏家の音が
高みを目指して羽ばたいているとすれば、
フジコさんの音は
果てしなく深く潜っていくような感覚。






一見、同じ高さにいるのだけど、
実は足下の奥底に深く深く根が隠れている。
本体の大きさに慄く。
そんな感じがした。









喜びも悲しみも、
愛も孤独も、
全ては彩りでしょう?
味わえばいいのよ。
そう言われているような音。












最後は、代表曲「ラ・カンパネラ」




ああ、これが聴きたかったの。
ずっとずっと聴きたかったの。
涙と鼻水でぐしょぐしょになる。









全てを終えると、
フジコさんは子どものようににっこり笑って、
手を振りながら去って行った。
帰り道、
隣りのご夫婦が「なんてチャーミングな方なんだろうね」と話したり、
また別の女性達が「本当に良かったね。素晴らしかったね」と感激したりしているのを聞いて、
私も幸せな気持ちになった。