さて、前回イジメにはストレス的要因と、本能的要因があると書きましたが。一つ不思議なことがあります。というのも通常、学校でも家庭でもイジメはしてはいけませんと教ているはずなのに、なぜ子供たちはイジメをするのでしょうか?
ストレスでつい暴力を振るってしまった。ふざけてからかっていたら面白くなり集団でやってしまった。
と、考えることはできますが。でもついやってしまうことはあっても、それを継続して殺すまでやってしまうとなると、学校でも家庭でもイジメをしてはいけませんと教えていないのでしょうか。教えていれば、どこかでセーブがかかるはずですし、誰かが止めるはずではないのでしょうか?
不思議です。
ところがこれには、ある抜け道があるのです。
具体例をあげて説明しますと。
例えば、あるクラスで給食費を集めましたが、その給食費の一部が何故か無くなってしまいました。先生は慌ててホームルームを開き「このクラスの中に給食費を盗んだ者がいるみたいです。正直に名乗り出れば、今なら事情を聞くだけで罰を与えません。正直に名乗り出なさい。」と言います。ところが誰も名乗り出ませんでした。ホームルームが終わった後、子供たちはこう言います。
「Aのヤツがさっき給食費の近くをうろうろしてたぞ。」
「そういえばAのヤツ、家が貧乏じゃなかったか」
「アイツいつも一人でいるから何考えているか分からないしな。」
「A、お前が盗んだんだろ。給食費の近くにいるのを見たってヤツがいるんだからな。早く先生のところへ誤りに行けよ。」
ところがA君は知らないと言います。
放課後子供たちはA君を袋叩きにしました。そしてそれは毎日続き、A君は学校に来なくなりました。
なぜイジメが止められず続いてしまうのか、お分かり頂けたでしょうか?
通常イジメは学校や家庭でしてはいけませんと否定されているため、イジメの行為は悪い事、悪だと認識されています。このため自分が悪いイジメをしているとの認識があればどこかでセーブがかかります。
ところが今回のケースでは、A君は給食費を盗んだ悪いヤツと認識していますので。イジメをする方は、給食費泥棒の悪党をこらしめる、正義の味方と思うわけです。彼らが正義の代行者で悪ではないと認識してしまえば、同級生を殺すまで永遠とイジメが出来るわけです。
もちろんA君にかけられた容疑は濡れ衣です。犯人が誰かは分かりません。子供たちもそのことは分かっています。それでもA君はイジメにあいます。
なぜかというと、イジメには本能的要因のイジメというものがあり。それは日常とは違う光景に対する興奮と、そこから派生する快楽が伴うため、その快楽欲しさにイジメをやりたいと思う訳です。
ようは、イジメはしたいけど、イジメは悪だから出来ない。そこへ給食費泥棒事件。自分たちのイジメを正義に偽装して、イジメとゆう快楽に浸れる案件が現れたのです。
面白可笑しいイジメを、自己否定無しで堂々と出来る。子供たちが飛び付かないはずがないのです。
私たちは知能は高くても、弱い動物です。
薬物中毒。アルコール依存症。ニコチン依存症。ギャンブル依存症。悪いと分かっていてもついついやってしまい、止めれなくなってしまいます。
子供たちだけに、高いモラルを押し付けるのはいくら何でも無理があります。
かといって、イジメを放置していいとはならないはずです。
では、いかにしてイジメを止めさせればいいのでしょうか?ここからは、そのことについて触れてゆきたいと思います。
区切りがいいので、続きは次回に致します。