愛の条件についてです。
愛を得るためにはある一定の条件が必要となります。
例えば家族の愛について考えてみて下さい。
ある家庭に父と母と子供の3人の家族が暮らしていました。
父親は会社の社長で事業も上手くいきお金持ちです。母親は家庭に入り主婦をやっていて子供をとても可愛いがっていました。子供は素直で優しくてとてもいい子でした。
一見お金持ちの愛に溢れた家庭に見えますが、一つだけ家族には困った事がありました。
それは父親が大酒飲みで酒乱だったことです。
父親は飲むたびに大声で喚き散らし、「誰のおかげで食っていけてると思ってるんだ、分かっているのか!」と母や子供を足げにしていまました。
困った母親が「お父さん、もうお酒はやめて下さい。」というと、今度は「偉そうに、何様のつもりだ!」と母親に手を上げていました。
さて、この家族に「愛」は生まれてくるのでしょうか?
もちろんこの父親は誰からも愛されることはありませんでした。
もうお分かりかと思いますが。
愛の条件は、人としての「道徳」を守るということなのです。
道徳も何もなく、家族だからという理由で愛が受けられるなどということはありえないのです。
例え家族であっても人はそれぞれ違う人格です。違う人格同士の者が一緒に暮らすには相手を尊重したり思いやるためのルールが必要になります。
それを私たちは「道徳」と呼んでいます。
道徳は守らなければならない規則ですが、強制的なものではありません。
道徳は自分の意思で進んで守る規則になります。
このため道徳は他者の為に、自分の意思で自分に抑制をかける規則となります。
母親は父親に、自分や子供のためにお酒を止め暴れないよう、道徳を守ってもらうよう提案しました。
だが父親は、その提案を無視し母親に手を上げました。
この場合、この父は道徳を守ろうとしていないわけですから。家族のために自分の行動を抑制する気持ちが何もないということです。このような他者に対して相手を思いやる気持ちのない者に、人として愛を注ぐことは出来ないとなるのです。
これは何も家族に限ったことではありません。
例えばご近所付き合いで、ご近所さんの素行がちょっと気に入らないからといって、他のご近所さんにその相手の悪評を広め回って村八分にして、追い出してやろうと画策していたのでは。
そんな道徳を守るつもりもない地域社会など、誰も愛せるはずもなく。うんざりして出て行きたくなるだけなのです。
もちろんこれは、会社でも、国家でも同じことなのです。
道徳の無い世界では、愛は死んでしまいます。
愛を生かすためには、相手を思いやり相手のために自らを律し、道徳を守ることです。
愛の無い世界では人は幸せにはなれません。
他者への思いやりを忘れ、自分自身の損得感情だけで動き、道徳を軽んじる社会を作ることは。
自分自身の幸福を自分で潰しているようなものなのです。
愛すべき価値のある人とは。
家族のために、友のため、社会のために。自らの意思で自らの欲望を律しようと、努力してくれる人のことだといえるのです。
さて、愛の条件はお分かり頂けたかと思いますが。
実は「道徳」にも条件があるのです。
いつの時代にも道徳が道徳として人々の心の中にあるとは限らないということですが。
ではその条件とは何かとなりますが、そちらはまた次回にしたいと思います。