前回の続き、公的な幸福の本質とは何か?についてですが。
それは小学生でも知っているようなシンプルなものになります。
ではせっかくなので、子供たちに聞いてみましょう。
「子供たちの皆さん、こんにちは。質問です。これがなくなると不幸になるもの。ないと幸せになれないものは何ですか?」
一人の子供が手を上げます。
「はーい、お母さん。」
「どうしてかな?」
「お母さんはいつも優しいから。」
「お父さんは、いらないの。」
「お父さんもいるけど、怒ると怖いから2番目に必要〜」
「では他には、幸せになるために必要なものはないのかな?」
次は他の子供が手を上げました。
「友達〜」
「どうしてそう思うの。」
「一人で寂しい時、いつも一緒に遊んでくれるから。」
「そうなんだ、優しい友達がいて良かったね。では、他にも何かあるな?」
するとまた違う子供が手を上げました。
「隣の家のおばあちゃんと、その隣のおじいちゃん。」
「へえ〜、何でかな。」
「おばあちゃんはね、お腹が空いたというとお菓子をくれるの。それでおじいちゃんはね、喉が渇いたといったら。このまえね、ジュースをくれたの。」
「そうだったの。みなさんご協力ありがとうございます。」
さて、公的な幸福の本質はもうお分かりでしょうか?
そうです。公的な幸福の本質は「人との繋がり」にあるのです。
まずお母さんとお父さんは家族になりますので、その間にある繋がりは「愛情」となります。
次に、友達との間にある繋がりは「友情」になります。
その次に、近所のおばあちゃん、おじいちゃんとの繋がりは人と人との繋がりで「人情」となります。
「愛情」「友情」「人情」この三つの繋がりに共通するものは「情」となります。
欧米諸国では日本でいうところの「情」のことを、「愛情」「友情」「人情」全て含めた言葉として「愛」と呼んでいます。
日本でも欧米諸国の文化はふんだんに取り入れられていますので、このブログでもそれに習って人と人との繋がりを、公的な幸福の本質を、「愛」と呼ぶ事にしたいと思います。
子供たちは誰かに教わったわけでもなく、自分にとって何が幸せかなど本能として知っています。
「愛」の無い世界では子供たちのみならず、誰もそんな世界で生きたいとは思わないのです。
夫婦の間に子供が出来ることは愛情が生まれることですし。
友達が差別を受けていて、差別を無くそうとするのは友情からくるものですし。
新薬が出来てご近所さんの病気が治って嬉しく思うのは、人情からくるものなのです。
私たちが幸福な人生を送るためには「愛」が必要なのです。
しかし、単純に愛が必要といっても。
愛がいつの時代にも、そう簡単に手に入るとは限らないのです。
なぜならば、私たちが愛を手に入れるためには、ある一定の条件が必要になってくるからなのです。
では、その条件とは何なのか?
となりますが、そちらはまた次回にしたいと思います。