カクテル閑話放題 その6『トマト』 | 空閨残夢録

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デカダンよりデラシネの戯言








 トマトは夏の季語であり、あまり俳句や短歌の作品ではみかけないのだが、若山牧水はトマト好きだったようで、わりと多くトマトを詠んでいる。




  葉がくりにあるはまだ青しあらはなるトマトに紅のいろさしそめて 


  一枝に五つのトマトすずなりになりてとりどりに色づかむとす 


  汲み入るる水の水泡のうづまきにうかびて赤きトマトーの実よ 


  水甕の深きに浮び水のいろにそのくれなゐを映すトマトよ 


  舌に溶くるトマトーの色よ匂ひよとたべたべて更に飽かざりにけり 


  トマトのくれなゐの皮にほの白く水の粉ぞ吹けるこの冷えたるに




 
 トマトは 英名が tomato で、メキシコのナワトル語が起源だとされる。字義的には〈ふくらむ実〉の意とされる。中国名は蕃茄で異国の茄子の意。


 1523年にメキシコをスペイン人が征服した。それにより茄子科トマト属のこの野菜がヨーロッパにもたらされる。イタリアには1544年に伝わったそうだ。


 当時は食用というよりは媚薬として扱われた。トマトは“愛の林檎”と呼ばれ強精剤とされたらしい。イタリアでは“黄金の林檎”という名前で広まり、現在では料理に欠かせない食材である。


 1583年にフランドルの本草学者ドドネウスが初めて料理に用いたと伝わる。ただし、一般的に食用として普及したのは18世紀に入ってからである。それまでは珍奇植物として観賞用とされていた。


 日本には17世紀にオランダ船 が運んできた。18世紀初期にある『大和本草』に「唐柿」として著されている。これにも観賞用として登場するのだが、食用とされるのは明治期初年のことであり、北海道開拓使が蔬菜として導入する。


 さらに一般家庭に普及するは昭和に入ってからである。それも戦後にケチャップなどが普及して馴染み深い食品となる。この野菜は本邦の気候風土に馴染み、品種改良で青臭さが減って甘味が増したことで今ではお馴染みの食材となる。








 ボクはあまり好んでトマトは生で食さないが、トマトジュースは好物でよく飲んでいる。北海道では地元の農場などで栽培したトマトをジュースにしたりして加工販売しているが、とてもおいしいものが多く販売されている地域でもある。


 カクテルにするならば市販のカゴメとかデルモンテのメーカーで十分である。なるべく無塩のジュースを選択して、ベースのウォッカもお好みで、無塩トマトジュースで単純に割ると「ブラッディーマリー」というカクテルになる。


 ブラッディーマリーのベースをドライ・ジンに変えると“ブラッディー・サム”、テキーラならば“ストロー・ハット”、アクアヴィットにすると“デーニッシュ・マリー”、ビールをトマトジュースで割れば“レッド・アイ”というカクテルになる。お酒が飲めない人は“ヴァージン・マリー”とバーでオーダーするとアルコール抜きのトマトジュースが出てくる。





 
 1969年にカナダで生まれた“ブラッディーシーザー”というカクテルがあるが、米国のモッツ社が蛤のエキス入りのトマトジュースを売り出すと1980年代に爆発的に売れて広まる。商品名はクラマトジュースで、つまりクラム(蛤)とトマトの合成語である。クラマトをビールで割ると、“レッド・バード”というカクテ ルになる。


 Bloody Mary のレシピをラルース・カクテル事典で調べてみると、ウォッカ=40ml、トマト・ジュース=180ml、セロリ塩=1つまみ、タバスコ=好みにより1~2ダッシュ、ウースター・ソース=2~3ダッシュを、コリンズ・グラスに氷を入れて混ぜ合わせ、レモンスライスを飾る。


 ボクはなるべく氷を入れないで、冷えたウォッカとジュースをタンブラーグラスに満たし、塩、胡椒、タバスコ、ウースター・ソースにレモンの櫛切りにしたものを別に添えて提供する。客のお好みと嗜好で好き勝手に飲んで欲しいというスタイルである。


 また自己主張を強くグラスにセロリや人参や胡瓜などのスティック状にしたものをさして、オリーブやレモンなどを飾り付けて提供しても、何故かこのカクテルは酒なのにヘルシーな スタイルになるのが面白いと思われる。


 ブラッディー・マリーというカクテルの名前はメアリー1世の渾名からきている。メアリー1世(Mary I, Mary Tudor,1516 - 1558年)は、イングランドとアイルランドの女王であった。ヘンリー8世と最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの娘として、グリニッジ宮殿で生まれた。イギリス国教会に連なるプロテスタントに対する過酷な迫害から、ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれた女王から、このカクテルは命名されている。








 北海道の余市町と栗沢町で黄色いミニトマトからトマトジュースを加工販売している農家がある。これは有機肥料を使用して、無添加、無着色の黄色いトマトジュースなのである。


 イタリア料理に欠かせない食材のトマトは、ご当地では「ポモドーロ」と呼ばれていて、POMOは林檎で、DOROは金を意味していて、つまりポモドーロとは「金の林檎」を意味する。
 

 新大陸から渡ってきた最初のトマトに黄色いものが混じっていたからなのか、よく判らないが、「ポモドーロ」の語源は不明である。イタリアには1544年にトマトが伝わったのは確かなことであるが、当時は強精剤や媚薬として扱われていて、フランスやイギリスでは“愛の林檎”と呼ばれていたが、媚薬のイメージがポモドーロ幻影の深層にあると思われる。


 宮沢賢治の童話に『黄色のトマト』がある。この物語はベムベルとネリという兄妹のお話なのだが、二人は農場でトマトを栽培していたが、或る日、紅い品種混じって金色に輝くトマトを発見する。当初は二人とも黄色いトマトに感心を示さなかったが、村に訪れた曲馬団のサーカス小屋に入るため金貨の代わりに黄色いトマトを使うことにした。その目論見が成功したか否かは結末には描かれていなかった。


 さて、ウォッカを黄色いトマトジュースで割ると、それはもはやブラッディーマリーとは呼べない。このカクテルは“ポモ・ドーロ”と命名することにした。(了)