江戸時代から明治にかけて「枇杷葉」という暑気払いのための薬湯が辻売りされていた。これは枇杷や桃の葉を乾して煎じたものを飲むのであるが、「甘い、甘~い! あまーざけっ!」と天秤棒をかついで甘酒を売り歩く甘酒屋も、夏場の風物誌であった。
夏バテにはアミノ酸とビタミンの補給が一番大切である。甘酒は、まさに夏バテの回復ビタミン・アミノ酸配合による強力栄養ドリンクなのである。また甘酒の甘味のブドウ糖が即効性のエネルギー源になるのだ。
若山牧水は暑気払いに粕取り焼酎を蜂蜜で割って好んで飲んでいた。蜂蜜は甘酒よりも更なるブドウ糖と果糖が豊富でビタミンも多い滋養に富むもので、夏バテには最適の食品であろう。
牧水はお酒好きで有名な歌人である。旅先では、地元のお酒を探しては飲み、人々と楽しく飲むこともあったが、一人で静かに飲むお酒が、何よりも好きであったらしい。
しかし、あまりにも飲みすぎて、肝臓を悪くして、昭和3年9月17日、43歳という若さで亡くなってしまう。牧水は約三百のお酒の短歌を発表している。若山牧水は1886年(明治19年)に宮崎県東臼杵郡東郷町坪谷に生まれる。本名は若山繁。それでは、牧水の酒を詠った珠玉の作品を四つだけ紹介しておこう。
それほどにうまきかとひとの問ひたらば 何と答へむこの酒の味
白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり
人の世にたのしみ多し然れども 酒なしにしてなにのたのしみ
うまきもの心にならべそれこれと くらべまわせど酒にしかめや
「甘酒」が夏の季語のように、「焼酎」も夏の季語なのである。それは上方では「柳蔭」、江戸では「直し」と称する焼酎を味醂で割った飲み物が暑気払いとして飲まれていたからだ。
昔の味醂は調味料というよりも今日のリキュールと同じようなもので、そのまま飲んでも甘く美味しい酒の仲間なのである。もちろん調味料としても利用されていた。江戸で「直し」という飲み物は、つまり今日のカクテルと同じなのである。ブランデーにベネディクチンを加えたり、ドライジンにヴェルモットを混ぜるのと同じことといえよう。
牧水が好んだ夏の酒の飲み方は、粕取り焼酎に蜂蜜を混ぜるやりかたで、ラム酒に蜂蜜を入れるような今日的な感覚ともいえる嗜好であろう。
かんがへて飲みはじめたる一合の 二合の酒の夏のゆふぐれ
上記の牧水の歌は焼酎ではないかも知れないが、清酒を夏に飲むのであれば、よく冷えた酒のことであろうか。清酒は初冬に作られるので、夏の酒はその昔は保存状態はよくなかったと思われる。日本の湿潤で暑い夏までに、お酒を保存させるのは、清酒に焼酎を混ぜ込んだりといろいろ工夫されていたようである。
現代では、夏でも美味しい冷酒を飲むことができるからありがたいと思う。北海道の旭川にある男山酒造では、夏でも生酒の製造をしている唯一のメーカーで、ここの冷酒は至極上等にして旨い酒である。
この生酒は「笹おり」という商品で、牧水がこの酒をもしも飲むことが可能であったとしたら、多分、40代までも生きていられなかったかも知れないほどの美味である。
さて、焼酎の蜂蜜割りや味醂割りをカクテルと表現したが、洋酒ではないのでカクテルという表現には違和感もあろうが、では、そもそもカクテルとは何かと定義すると、若山牧水の酒の飲み方もカクテルと述べることができるであろう。
カクテルは氷や器具を使用して、これを所定のグラスに作りあげるミックスト・ドリンクととらえる方法論的な考え方よりも、酒に何かをミックスしたものと漠然ととらえる抽象論的な考え方を前提にカクテルを規定するならば、<酒+サムシング>の公式で成り立つと考えられる。
酒の飲み方は二通りだけで、ストレートでそのまま飲むのと、<酒+サムシング>という公式のミックス・ドリンクだけであろう。ちなみにストレートという言い方は1855年にケンタッキー州で生れたそうだ(坂下昇著『アメリカニズム』岩波新書)。米国のバーでバーボンをストレートで注いでもらうように注文するには、「ストレート・アップ・プリーズ」というふうにオーダーする。くだけた言葉にするなら、ただ、「アップ・プリーズ」でも通じる。
さて、若山牧水はストレートという言葉も、カクテルという概念も無かったので、ストレートは“生(き)、”ミックスは“割る”と表現したであろうと思わしい。
日本では経済成長の時期にウィスキーを水割りにしてよく飲まれていた。米国ではバーボン・ウィスキーやスコッチ・ウィスキーを水で割って飲まれることはまれである。ウィスキーの水割りも<酒+サムシング>の公式から規定すればカクテルである。
冬になれば焼酎をお湯割りとして飲まれるであろうが、東京のある蕎麦屋で蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを初めて飲んだ時は感動したものである。同じく冬に青森県から北海道では大衆酒場で“番茶割り”といって、ほうじ茶の甲類焼酎割りが飲まれるが、最近は居酒屋などでほとんど見かけなくなった。
本邦では清酒の熱燗に焼いた岩魚、鮎などを使う骨酒、フグやエイの鰭酒がある。これらの骨酒みたいな熱燗をカクテルの範疇ととらえるには難しいであろう。梅酒がカクテルではなくリキュールのカテゴリーならば、骨酒はリキュールと規定するのも違和感がある。ただ蝮や雀蜂を酒類に漬けこむ風習があり、これはリキュールに分類できる。
骨酒はフレーバーした酒の飲み方なのだが、ハーブやスパイスに果物を添加する飲み方は西欧にあっても、この動物性のフレーバー・ドリンクは日本独自の飲み方であろう。
スッポン料理のフルコースを食べたことがあるけれども、先付けと一緒にワインとスッポンの血がハーフ&ハーフの飲み物を供されたことがある。これはカクテルと規定してよいであろう。ブラッディー・マリーよりは生々しくリアルなカクテルであった。
先日、焼き鳥や焼きとんを看板にする大衆酒場へ行ったが、そこでモッキリで焼酎の味醂割りを呑んだ
。梅割りという飲み方もモッキリのスタイルにはあるが、味醂も梅シロップも分量はティースプーンで1杯から2杯くらいである。甲類焼酎は三重県の宮崎本店のキンミヤ焼酎で、これは関東では人気のあるブランドでもある。また味醂も宮崎本店の亀甲宮(キンミヤ)本みりんである。(了)