日本ケンタッキー・フライド・チキンによる、カーネル・サンダースの自伝の日本語版電子書籍がネットで公開されている。
これはカーネル・サンダースの手記「Col.Harland Sanders/The Autobiography of the Original Celebrity Chef(世界でもっとも有名なシェフカーネル・サンダースの自伝)」というタイトルで、米国ルイビルにある米KFCの書庫に約40年間、気付かれずに保管されていたものであるらしい。
これを観るに、主にカーネル・サンダースの食に関する情熱、仕事での努力、家庭料理の大切さなどが書かれており、伝説の世界的シェフであり企業家カーネル・サンダースの人生を垣間見ることができるであろう。
この伝記で注目されるのは、サンダース特製の米国南部料理のレシピである。ロースト・ビーフと付け合せのカボチャ煮からはじまり、ミートローフ、ローストターキー、オムレツ、スクランブルエッグ、豚肉のリンゴ詰め、オニオンパイ、ハッシュパピー、ポテトパンケーキ、パースニップとカリフラワーのフレンチフライ、チキンブランズウィックシチュー、マリガンシチュー、コーンチャウダー、ホットビスケット、小麦パン、ブラウンベティー、オートミールケーキ、ピカンパイ、ピーチコブラー、コーンフリッター、バターパンケーキ等々、いずれもカーネル特製のレシピになっていて固唾をのむ。
そのなかで気になるのはトマトのフライであった。日本ではトマトをフライにして食べるという感覚は多分に稀であろう。そこで思い出したのが、1991年に製作された米国映画の『フライド・グリーン・トマト』である。この映画は1987年に発表されたファニー・フラッグの小説『Fried Green Tomatoes at the Whistle Stop Cafe』を原作にしている。
カーネル・サンダースのフライド・トマトは赤く熟したものだが、この映画では未熟の青いトマトが「ホイッスル・ストップ・カフェ」というレストランの名物料理になっている。いずれにしても南部料理ではポピュラーなものであるフライド・トマトである。
映画ではキャシー・ベイツ演じるところのエブリン・カウチと夫のエドがアラバマ州バーミンガムの老人ホーム“ローズ・テラス”に訪れる場面から始まる。倦怠期をむかえお互い肥満ともおもえる中年の夫婦はエドの叔母(原作では母親)を見舞いに行く。
叔母は惚けていて、見舞いに来た二人を歓迎してくれないので、疲れたエブリンは待合室でミルキィー・ウェイを3本、さらにバターフィンガーをの包みをあけてたいらげていると、老女が話しかけてきた。その老女がジェシカ・タンディ演じるところのニニー・スレッドウッドであった。
ニニーはエブリンに老人ホームに来る途中で道に迷って鉄道の廃駅の前にあった往年に廃業したレストランについて話しを始める。そして、そこをかつて経営していた親族の話題をする。やがてエブリンはその老婆の昔話に惹きこまれていく。
そこで、物語は次第にニニー婦人の遠い昔話へと映像は移行していく。それは1929年まで話は遡る。それはやがて“ホッイスル・ストップ・カフェ”を営業することになる少女時代のイジー・スレッドウッドの物語。
スレットウッド家はアラバマの小さな町でも黒人の使用人もたくさん抱えていた富裕な家庭であった。そして、ニニーの語るスレットウッド家の長女の結婚式の回想場面がはじまる。部屋に閉じこもるイジーが2階から白いドレスを着て教会に行くの待つ家族のもとに降りてくる。それを歳の近い兄が囃し立てる。その兄とイジーは大喧嘩となり、へそを曲げてドレスを脱ぎすて家を飛出し庭の木の上に昇ってしまう。
つまり、イジーという10歳くらいの女の子は、普段は女子が着るような服装はしていなくて、男の子同然に自然のなかで野性児の如く暮らし遊んでいた。それが着慣れない女の子の白いドレスを着せられて教会に行くのを拒む場面から回想シーンとなるのである。
そこで、部屋に閉じこもり、やがて木の上に逃げ込んだ女装を拒むイジーを説得するのは長男のバディであった。イジーは親類縁者のなかでとりわけ長男バディーには心開いていた。説得に応じたイジーは男装で姉の結婚式に出ることを了承する。
バディーには恋人のルースがいる。結婚式の後にイジーは兄のバディーと、その恋人のルースといつも釣りをする川へ出かける。川には鉄道があり、ルースの帽子が風に吹かれて鉄路に落ちたのでバディーは拾いに行くが、その時、悲劇は起こる。バディは編上げのブーツが鉄路にはまり逃げ遅れて轢死してしまう。
この悲劇からイジーは心を閉ざして非行に走る。教会に通わず賭博や狩りに釣りをして野山を彷徨うようになる。そんなイジーが気がかりなルースはイジーの心を開こうと近寄る。最初はすげなくルースを扱うイジーだったが、やがて二人は心を許しあう。
つまり、この物語はイジーとルースの過去の友情をテーマに描いて、現代ではエブリーとニニーの友情を描いた作品である。それだけではなく、黒人や浮浪者という差別の問題なども同時に表しており、映画はけっして暗くない明るく快活な演出になっている。
たとえば南部映画の傑作ともいえる『風と共に去りぬ』のヒロインのスカーレット・オハラよりも、このヒロインであるイジー・スレイトウッドは同じように型破りで直情型の女である。ただ、イジーはスカーレットのように異性にはエロティックな情緒を抱かないし、異性などや世間体などには目もくれない。
ルースは恋人であったバディの姿をイジーに求め、またイジーはルースに恋心を抱く。しかし、物語は二人の愛よりも共同体である世界に重点があり、そのコミュニティーの描き方がとても素晴らしい演出効果になっている。
このドラマには、同性愛、人種差別、あらゆる南部の歴史的な偏見を問題にしながらも、現代のフェミニズムの倦怠感や、家族愛とプロテスタント的キリスト教の信仰の核心を復古的に明るく描いた秀作といえよう。テネシー・ウィリアムズの描いたような重たいドラマと違う作品。
映画のあらすじのなかで、ルースがフランクという“Ku Klux Klan”という差別主義者と結婚するが、ドメスティック・バイオレンスを受けているルースをイジーは使用人や仲間と救い出す。このことが、物語の後半で大きく作用する。南北戦争を強く生きた『風と共に去りぬ』のヒロインであるスカーレットだが、この映画のヒロインであるイジーもまた逞しい。
この映画で好きな場面は、心をルースに許したイジーがプレゼントにハチミツを送る場面。それも野生化した蜂の樹の洞から蜜巣を取り出すシーンは圧巻である。この危険を嗜めるルースはイジーを怒りつつも、“ビー・チャーマー”と渾名し、二人は、この出来事で心つながれていく。
この映画でフライド・グリーン・トマトよりも、この蜂蜜の場面が強烈に印象に残るであろう。この場面でイジーという女の性格が極端に象徴化されている。なぜ、タイトルがフライド・グリーン・トマトなのかは理解に及ばないが、この南部のビーチャーマーはボクのお気に入りの女性である。
余談だが、ジェシカ・タンディという女優はヒッチ・コックの映画『鳥』の主演女優でもあるが、老年になってからすばらしい演技を度々見せてくれた。