1982年(昭和57年)に横浜で初めての一人暮らしをはじめたのだが、その頃はボクの食生活に片岡義男の小説がかなり影響を及ぼしていて、波乗りやオートバイには乗らなかったが、ドライ・マティニ、ギムレット、ブラッディマリーのカクテルは角川文庫の片岡義男が教えてくれた。
それだけではない・・・鼻血が出るくらいアーモンドを頬張りながらシェリッツを飲んだり、雨の夜にヘミングウエイを読みながらドライ・ジンで二日酔いになり、朝食にオートミールを食べ、オレンジ・ペコの紅茶を啜り、缶詰のソーセージでサンドイッチを作りフレンチ・マスタードで味付けしたりと、片岡義男の小説とエッセイに登場する飲食のスタイルを真似ていたものである。
「ミッド・ナイトママ」という短編小説に登場する美津子という女性は、球磨焼酎が大好きでボクもこれを読んでから、今でも大の球磨焼酎ファンで、味噌汁に関してのエッセイもかつて読んだが、あやふやな記憶を辿りながら角川文庫の「コーヒーもう一杯」、「ラジオが泣いた夜」、「アップルサイダーと彼女」を読み直したが、味噌汁に関する文章は見当たらなかった。
小説では、「味噌汁は朝のブルース」を本棚に見つけるが、著者のあとがきに味噌汁に関するエピソードがあるかも知れないと、後ろからページをめくるが別の作家の解説文があるだけだった。
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朝食が、できあがった。
トーストにマヨネーズを塗りつけ、トマトのスライス、レタス、そしてベーコンをはさみこんだサンドイッチ。それに、熱いブラック・コーヒー。
スラックスをはき、ワイシャツを着た水谷が、キッチンの小さなテーブルまで歩いてきた。
できている朝食を見て、
「なるほど」
と言い、椅子にすわった。
むかい側に、彼女も腰を降ろした。
「BLT」
と、恵子は、言った。
「え?」
「BLT。ベーコン、レタス、アンド、トマト」
「そうか」
ふたりは、食べはじめた。
「うまい」
と、水谷は言った。
「味噌汁のほうがよかった?」
恵子が、きいた。
水谷は、首を振った。
「うまい。こっちのほうがいい」
しばらく、ふたりは、無言で食べた。
コーヒー・カップを両手で持った恵子は、唇へはこんだ。熱いコーヒーを、唇をすぼめ、フーッと吹いた。
水谷が噛みつこうとしたサンドイッチから、ベーコンのかけらが、テーブルに落ちた。指先につまんで、口に入れた。
恵子は、もう一度、コーヒーを吹いた。そして、なにを思ったか、くっきりときれいに微笑し、
「味噌汁は朝のブルース」
と、普通の声で言った。
(「野性時代」1980年三月号『味噌汁は朝のブルース』)
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片岡義男の味噌汁についてのエッセイは、“冷えた味噌汁は玉葱の味噌汁ならけっこういける”という内容のお話で、多分、角川文庫版で読んだのであろうと推察する。・・・Webに手がかりを求めたが、ボクと同年代らしき女性が片岡義男の小説を今読み返しての感想を読んでみる。
その女性は、“味噌汁の上澄みのようなお話ばかりで今読み返すと、とても退屈・・・”、とあり、それはそれで一理あるなとボクも感じるが、確かに(限りなく透明に近い冷めた上澄みの味噌汁)と言えなくも無いであろうことは間違いない。
しかし、片岡義男の文体は、センテンスが短く、体言止めが多く、余計な心理描写や風景描写がない。登場する男も女も、はじめに行動があり、行動の途中で出逢い、会話を交わして、そして別れる。
登場人物の学歴や思想、職業や地位、時として性格さえも重要ではなく、現在に何をして、何を感じたかという物語ばかりだ。心理や精神は問題とされず、彼女の髪、身長、肌の色、声、服装、装身具は詳細な描写がされる。
風景についてもそうなのだが、目に見えるもの、行動にあらわされたものだけがあり、内面の問題は最初から除外されているのが、片岡義男のレトリックの特徴で、何よりも会話がしゃれているのだ。
ボクは今、30年ぶりに片岡義男を読み返すが、チットモ退屈などしない。されど風のように吹いていくだけで、心の奥行には何も残らないのが印象的ですらある。・・・それはそれでいいと思って、風に吹かれながら時には片岡義男を読む。