映画と食卓(銀幕のご馳走)その18『アメリカン・ビューティー(アスパラガス)』 | 空閨残夢録

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 『アメリカン・ビューティー』(原題: American Beauty)は、1999年製作の米国映画。英国の舞台演出家であるサム・メンデスの初監督作品で、アカデミー賞の監督賞をはじめ、作品賞、主演男優賞など5部門を受賞する。主演はケヴィン・スペイシーで、物語はケヴィン・スペイシー演じるところのレスター・バーナムのモノローグで映画は序幕となる。

 この主人公の独白は、やがて物語の結末で本人自身が死んで亡くなり、まるで生前の死に至るまでの経緯を述べるような語り口で物語は始まる。そして、この死者である主人公の回想場面の前に、自分の18歳の娘が、或る男に、主人公である父親の殺人を依頼する冒頭のシーンが挿入されているから、この映画はミステリー的に展開すると誰もが想像してしまう。

 しかし、この映画は序章を終えると喜劇的に物語は加速する。それもブラックユーモアをたっぷり含んだドラマとして膨らみながら疾走して、ある種の爽快感さえ感じさせてくれる高揚感が噴出していく。




 
 



 あらすじは、アメリカの中産階級の、プチブル的な、ごく普通の、一見して表面上は幸せにも思える家族が暮らす閑静な郊外の住宅街が舞台である。

 主人公であるレスターは広告業界に勤める冴えない42歳の中年男で、今にも会社からリストラ寸前にして、女房とはセックスレスで、恥ずかしながら朝のバスルームでシャワーを浴びながら自慰行為が日課である。そんな彼の一人娘には軽蔑されて毛嫌いされて無視されている憐れな男性なのだ。

 死んだレスターが語るところによると、生きていた頃の晩年の生活が、死に至る少し前までが、彼にとっては死んだような生きざまで、脱力した人生の敗残者であると自他共に認める存在であったと回想している。

 しかし、そんな脱け殻みたいな人生を過ごすレスターに、生気と、生き甲斐に、活力を与える出来事が或る日に起こる。それは恋であったが、それも自分の娘の同級生であるティーン・エイジャーに恋心を抱くことから悲劇の発端になり、また、喜劇として物語は進捗する。

 しかし、その悲劇的な結末は、事件性としては破滅的であり、表層的には悲劇性を孕んでいるが、その主人公の死は幸福な結末というパラドックスを含むところに、この映画の感動的なドラマツルギーが収斂しているのがミドコロとなり、映画は傑作と評価された由縁なのであろう。






 


 つまり、この映画のプロットは本質的には悲劇である。しかし、この悲劇は結末で悲劇的ではあるが、そこには救いのある穏やかで、和やかな美を秘められたカタルシスがあるのだ。

 レスターは娘のジェーンに、日頃から軽蔑されているが、ジェーンの友達であるアンジェラ・ヘイズに色目をつかい懸想することで、さらなる憎悪へと、父親に対する娘の感情は負へと加速的に増幅していく。

 アンジェラの姓がヘイズということは、つまり、アンジェラとはナバコフの“ロリータ"の眷属である。ロリータとはハンバート教授が密かに名付けた渾名だが、その本名はドロレス・ヘイズであった。しかし、ナバコフの物語では、愛しいロリータはファム・ファタールであり、救いのないニンフェットであるけれども、アンジェラはレスターの、その名の通り結末で“救い"の天使になるのである。 

 アンジェラは表面上は、名前とは裏腹に通俗的な“おませ"で性的に奔放な女の子である。男は誰でも自分の魅力に惹かれるものだと自惚れ、また平凡な生き方を軽蔑している存在である。しかし、終幕でレスターの“ロリータ"ちゃんから、レスターの“天使"となり啓示を与える重要な存在になるのだ。






 


 さて、『アメリカン・ビューティー』というタイトルは、薔薇の品種の事で、レスター家の庭で妻のキャロラインが育ている深紅の薔薇でもある。そしてレスターにとってはアンジェラが薔薇の化身として、妄想の世界で咲き乱れ、散っていく、深紅の美と退廃の匂いの象徴となる。

 レスターの娘であるジェーンは、父親だけではなく母にも軽蔑の念を向けている。その母親のキャロラインは上昇志向の強い見栄っ張りで、アンジェラに言わせると嘘ぽっくて胡散臭い。不動産ブローカーのキャロラインは自らの成功の為に、不動産“王"のバディーに指南し、また彼と不倫に及び、更なるストレス発散の為に拳銃射撃まで始める。

 表面的には幸せそうなバーナム家は、いつ崩壊してもおかしくないほどに、家族の病巣は闇のなかで次第に膨らんでいく。そんなバーナム家の右隣にはゲイのカップルであるジム・バークレイとジム・オールマイヤーが暮らしていて、或る日にバーナム家の左隣に海兵隊のフランク・フィッツ大佐の一家が越してきた。

 フィッツ家の妻は精神を病んでいて、一人息子のリッキーは薬物依存症で“ヤク"の売人だが、支配的で異常なくらい厳格な父親にDVを受けている。このフィッツ家にしろ、バーナム家にしても内実は病んでいて、同性愛者のジム&ジムの家庭が、二つの家族よりも健全で健康的な暮らしを過ごしているのが対比的に演出される。

 演出といえば、映像と音楽の効果的なのも秀逸で印象的である。レスターがアンジェラと出逢ってエロティックな妄想をする場面に、リッキーがビデオを撮影する世界、美を垣間見るその視線は、レスターでは耽美でキッチュであり、リッキーは無機質でサイコな視線の映像になっている。

 バーナム家にアンジェラが泊まった日の夜、ジェーンの部屋のドアの前でレスターは立ち聞きする。すると、アンジェラは、ジェーンのパパがもう少し筋肉隆々のマッチョだったら一緒に寝てもいいと、ジェーンに宣告するのを耳にしたレスターは、この夜を境に人格も行動も変幻し、味気ない現実から次第に逸脱していく。






 


 その翌日、レスターは会社を辞めて、ハンバーガーショップでアルバイト店員となり、トヨタ・カムリから、深紅の70年式ポンティアック・ファイヤーバードに買い換え、ダンベルとベンチ・プレスをガレージに置き身体を鍛え始める。また、お隣のジム&ジムと早朝からジョギングをして、リッキーから極上のマリファナを購入してハイテンションになる日々を送る。   
 
 勿論、レスターの突然の変化にキャロラインとの夫婦間の関係は次第に悪化していく。ジェーンはアンジェラに色目を使う父親に対して愛想を尽くして、恋人になったリッキーに父親殺しを依頼する。・・・・・・あらすじは、ここまでにしておこう。ラストでレスター・バーナムは頭を拳銃で撃たれて殺されるのだが、ミステリーは登場人物たちの心の闇にあり、美を求めて、果敢に人生の最期を疾走したレスターは幸福な死を遂げる結末を迎える。






 



 さてさて、この映画で印象的な飲み物と食べ物は、バーナム家にアンジェラが泊まった夜に、レスターとアンジェラが飲む“ルート・ビアの場面と、レスターが退職した日のバーナム家の晩餐で、料理した“アスパラガス"を盛り付けた皿をキレたレスターが壁に投げつけるシーンが特に印象として残るであろう。

 ・・・・・・何故なら、ルートビアを飲んだ夜と、アスパラガスの料理を食べる夜までに、主人公のレスター・バーナムの劇的な変化と、そのケヴィン・スペイシーの演技力には誰もが瞠目されるであろう。