映画の食卓(銀幕のご馳走)その17『ロリータ(クリームソーダ)』 | 空閨残夢録

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 ウラジミール・ナバコフはスタンリー・キューブリック監督の映画『ロリータ』(1962年)の脚本を手がけたが、監督により、かなり部分を脚色されてしまったらしい。その後、ナバコフはそれが不満だったのかは、いざ知らないが、1970年に再度、映画用の“ロリータ"を脚本に表した。これは映画にはならずにミュージカル上映されて、『ロリータ・マイ・ラブ』の題名で上演された経緯がある。

 エイドリアン・ライン監督が『ロリータ』を1997年にリメイクしているのだが、キューブリック監督と同じくクライマックスの殺人事件の事件現場から車で移動するハンバード教授の姿から物語の冒頭にしている。その形式はキューブリックと同じ方法であるが、映画全体はナバコフの小説に忠実に物語はほぼ展開している。






 ナバコフの小説では主人公エドガー・H・ハンバートが、初めてロリータと出逢った時の少女の年齢は12歳と7ヶ月であった。ハンバードは言わずと知れたニンフェット・マニアであり、彼にとってニンフェットとは9歳から14歳ぐらいまでの少女を性的な対象としていた。

 キューブリックの映画ではロリータ役をスー・リオンという当時15歳の少女が演じている。ライン版はドミニク・スウェインがロリータを演じていて、彼女も撮影当時は15歳であった。

 キューブリック版では、原作とスー・リオンの年齢に誤差があり曖昧にされているが、ライン版のロリータは14歳の設定で映画化されている。ライン版は勿論カラー作品なのであるが、ナバコフの小説が1948年~52年頃の時代的設定であると思わしいのだが、この時代考証により美術、衣装、風俗、舞台設定が行われ撮影されている。キューブリック版は映画制作年代時の1962年頃の設定で撮影されている。






 ライン版はキューブリック版のエロティックな関係性が希薄だったのを埋めるように、ロリータのニンフェット(小悪魔)ぶりや、ファムファタルの存在感を十分に描き、性的描写にも余念がなかった。そして表面的にはモラリストとして演じて生きているハンバートの内面的な葛藤や孤独を、エンニオ・モリコーネの音楽が、儚く、虚しく、孤独の欠落を埋めるように奏でるのが切なく印象的である。

 それとは対照的に、少女のロリータはダンスに夢中で、落ち着きが無く、いつも脚をバタバタさせていて、ハリウッドの映画俳優に憧れ、当時の流行曲(エラ・フィッツジェラルドのテイント・ホワット・ユー・トゥ・ドゥーなど)がお気に入り。ポップで奔放な通俗的な女の子なのであるが、モリコーネの深淵な音楽性がハンバートのテーマ曲になっているのと、ロリータのテーマ曲は当時の流行歌で対照的に演出されているのが音響として強く印象に残る。

 この二つの対極的な音楽性という視点からだけでも、ボクはライン版の『ロリータ』を評価したいと思う。この映画のモリコーネの作品はあまり知られていないが、モリコーネの映画音楽の作品の中でも真骨頂ともいえる。それはエドガー・H・ハンバート教授の苦悩と悲劇を如実に表現していることの評価なのだが、ドロレス・ヘイズ(ロリータ)のテーマ曲ともいえる当時の流行歌による音楽監修が、小説でしか表現できない部分や、映像化の齟齬を音楽で埋めていると感じたからである。






 



 ライン版の映画『ロリータ』は終幕に、ロリータをハンバートから奪ったクィルティを拳銃で殺し(キューブリック版も同じ)、放牧地の丘で警察に追い詰められて自動車から降り、丘の上から街を望むシーンがある。眼下の街からは子供たちの遠い声が聞こえてくる。




 「高い崖からその音楽的な振動に耳を傾け、控えめなつぶやき声を背景にして個々の叫び声が燦めくのに耳を傾けていると、私にはようやくわかった、絶望的なまでに痛ましいのは、私のそばにロリータがいないことではなく、彼女の声がその和音に加わっていないことなのだと。」





 この映画場面の最後のシーンにある朗読は小説のものであり、モリコーネのオリジナル曲は背景で美しい旋律を伴う。さて、このライン版の“ロリータ"はかなりポップな女の子である。ラジオから流れる流行歌、カー・ラジオの音楽、モーテルのBGM、ソーダ・ファウンテンのジュークボックス、ロリータのお好みの曲は1950年前後のヒット曲で、このリズムとサウンドをサウンド・トラック版でモリコーネの音楽とからませて監督がうまく編んでいるのが心憎い。




 



 さて、この映画はロードムービーの側面もある。ハンバートとロリータは、立ち寄る町などのレストランで外食する場面が多い。また自動車の中で、ロリータは自宅のキッチンや庭で、お菓子や果物などを子供ぽっく頬張るシーンが度々散見する。







 印象的なのは、ハンバートとの諍いで、雨の降る夜の街角に、ロリータは泣いて家を飛び出す。ハンバートは追いかけて必死にロリータを街角で見つけ出し、ソーダファウンテンに連れ込みクリームソーダをロリータに食べさせると、泣きじゃくっていたロリータはクリームの甘さに、次第に心を落ち着かせていく。泣いている子供や女の子には、やはり甘味が特効薬であるのは古今東西かわらない場面である。