リンゼイ・ケンプ・カンパニーの日本公演は『真夏の夜の夢』を一度だけ観ているが、できれば『アリス』と『フラワーズ』も観ておきたかった。リンゼイ・ケンプは1938年、英国のリバープル出身のシェイクスピア劇の道化役者ウィリアム・ケンプの子孫として生まれた。
1962年にリンゼイ・ケンプ・カンパニーを結成して、演出、脚本、振付、画家、役者、ダンサーとして活躍する。カンパニーでは1969年の『フラワーズ』で話題を集めるが、ケン・ラッセルの映画『サベージ・メサイア』(72年)への出演。かつてカンパニーに在籍していた弟子のデビッド・ボウイのための『ジギー・スターダスト』(72年)の作・演出。また、デレク・ジャーマンの映画『セバスチャン』(76年)への出演など、ケイト・ブッシュ、ミック・ジャガー、フェデリコ・フェリーニ、アンディー・ウォーホール、ジョアン・ミロなどのジャンルを超えたアーティストとの多彩な交流で活躍する。
1973年にリリースされたデビッド・ボウイのLP『アラジン・セイン』に入っている「ジーン・ジニー(The Jean Geniy)」という曲は明らかにリンゼイ・ケンプの『フラワーズ』からインスピレーションを得ていると思われる。つまり、ジーン・ジニーとはジャン・ジュネの英語による発音であり、『フラワーズ』はジュネの小説である『花のノートルダム』を原作にしているからだ。
1982年に公開されたライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『ケレル(Querelle)』は、ジャン・ジュネの『ブレストの乱暴者』を原作に映画化された作品である。ジュネの文学が映画化されたのはR・W・ファスビンダーの遺作となった『ケレル』だけで後にも先にも無い。またジュネは戯曲も発表しているからパトリス・シェローが戯曲を舞台化をしているが、ジュネの牢獄で書き上げた『薔薇の奇蹟』、『葬儀』、『泥棒日記』、『ブレストの乱暴者』、『花のノートルダム』などの小説を作品化したのはリンゼイ・ケンプとファスビンダーの二人だけである。
ジャン・ジュネは1910年に、父親は不詳で、未婚のガブリエル・ジュネの子としてパリに生まれる。翌年にジュネは児童養護施設に遺棄され、熱心なカトリック信者に里子として引き取られた。ジュネは孤児として、泥棒、男色家となり、犯罪を重ねた結果、終身禁固刑になるはずがジャン・コクトーの介入により、大統領から恩赦を受けて服役を免れたスキャンダラスで神話的な人物、またジャン・ポール・サルトルの『聖ジュネ』により、社会から隔絶した文学的な英雄として世間に登場する。
『花のノートルダム』『薔薇の奇蹟』は堀口大學、『ブレストの乱暴者』は澁澤龍彦、『葬儀』は生田耕作、『泥棒日記』は平井啓之などの翻訳などで本邦では1960年代から70年代に出版されているが、フランスでは1944年にポルノグラフィなどと同じ秘密出版で当初は刊行された。これにより流通した作品をジャン・コクトーが絶賛する。
ジュネの小説は市井の底辺を徘徊する窃盗を犯す同性愛者や、人の尊厳を捨て仲間を裏切る犯罪者たちを物語の主人公にしている。斯様な“悪徳”をジュネの小説では“聖性”に転化する魔力が文学として称揚され世間では評価された。
三島由紀夫に言わせると、「ジャン・ジュネ・・・・・・世界を裏返しにしてみせた男。現象世界の価値を悉く顛倒させ、汚辱を栄光に転化し、泥を黄金に変え、しかもこの革命をただ言語の力によって、独力でなしとげた男。芸術の極北に立ち、しかも芸術の復活の奇蹟を実現した男。もっとも卑劣にしてもっとも崇高、もっとも卑賤にしてもっとも高貴な文学」(「『ジャン・ジュネ全集』新潮社全4巻推薦文」)・・・・・・と、賛辞を述べている。
また、『ブレストの乱暴者』を翻訳している澁澤龍彦はジュネの小説を斯様に述べている。
「ジュネの小説の発想の基盤に、ポルノグラフィーのそれと同質のものを認める・・・・・・ジュネの小説が、技巧的に見れば明らかに一種のポルノグラフィーでありながら、しかも本質においてポルノグラフィーを超えている点は、何よりもまず、その無意識の部分の重要性であろうと思う。たとへば猥本作者は、もっぱら読者の特殊な情緒を刺激するという目的のために、手を変え品を変え、サディストとかマゾヒストとかいった人物を描き出すのに、ジュネの場合は、どんな人物を登場させても、必ずそこに作者自身が投入され、永遠に同じ一つの原型(アルケテュプス)が透け て見えるという違いである。たぶん、作者はこのことを意識していないであろう。それは深層心理学に属する事柄であろう。サルトルが言うように、精神分析学的な解釈には確かに限界がある・・・・・・」(「エロス的人間『ジャン・ジュネ論』中公文庫」)。
『ブレストの乱暴者』のあらすじは、登場する主人公のケレルは水兵であり、或る時、殺人を犯し、その不安と孤独から贖罪者としての受身の男色家となっていく。彼には互いに愛し合うほどよく似た分身のような兄弟がいる。その分身は淫売屋の女主人の情夫であり、女主人の亭主である情夫は彼女に言い寄る若者をまず自分が奸し、その後に女に渡すのが習いである。ケレルは亭主に犯され、そして女主人の情夫になる。ケレルが性的に通じるのは亭主の他に、殺人事件で追われている警官、また、自分に似た人殺しを犯した少年を愛し、しかもこの愛した少年を裏切り警察に売る。
この物語をファスビンダーは独特の美意識で映画化し、彼の遺作となったわけであるが、この映画はノワールではなく、高純度に悪徳の美学を映像化した作品である。主人公のケレルをブラッド・デーヴィスが演じ、淫売屋の女主人リジアヌをジャンヌ・モロー、水夫ケレルの上官をフランコ・ネロの配役とされている。初公開は82年にパリで、日本では88年に新宿シネマスクエアとうきゅうで上映された。