エロスの劇場 #⑪ 『トリスタンとイゾルデ』 | 空閨残夢録

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デカダンよりデラシネの戯言






 Tristan and Isolde / John William Waterhose -1911



 「愛のどんな敵も、愛がみずからを讃える炉で溶解する」 

                    『狂気の愛』アンドレ・ブルトン



 

 中世ヨーロッパにひろく流布された、『トリスタンとイゾルデ』の物語は、起源はケルトの説話とされるが、ギリシア神話とローマ神話にある『ピュラモスとティスベ』の物語りが原型とされる。12世紀にフランスで物語としてまとめられると、これはアーサー王伝説の物語に組み込まれた。しかし、元々は独立した文学作品なのである。

 円卓の騎士の一人として数えられるランスロットと並ぶ武勇を誇る騎士であるトリスタンは、主君マルク王の妃となるアイルランドの王女イゾルデと、誤って媚薬をトリスタンとイゾルデが飲むことで悲劇的な恋の物語に発展する。

 トリスタンという名前は悲しみを意味する。悲恋の主人公にふさわしい名ではあるが、トリスタンは生まれたときに両親を亡くし、不幸な身の上は出生からの宿命であった。叔父のコンウォール王マルクのもとに引き取られて成長することになる。そして、やがて立派な騎士に成長する。

 あるとき、叔父の命令でアイルランドへ赴き、叔父の妻となるべき金髪のイゾルデを迎いに行き、帰りの船中で一日会わなければ病気になり、三日会わなければ死ぬという、魔法の効能をもつ愛の媚薬を二人は口にして、忽ち燃えるような恋愛におちいいり、道ならぬ関係となる。

 イゾルデという名前はドイツ語である。フランス語ではイズーと発音するようだ。そこで王の妻となったイゾルデとトリスタンは密会を重ねるが、これが公になり、トリスタンは国外に追放されるが、ノルマンディーでイゾルデという名前の別の女性と結ばれる。

 このノルマンディーのイゾルデを「白い手のイゾルデ」と物語では区別され、マルク王妃のイゾルデを「金髪のイゾルデ」と表現される訳なのだ。そして、トリスタンはある戦争で重症を負い、病床に身を臥すが、死の間際に、もう一度「金髪のイゾルデ」との再会を希うが、嫉妬のため「白い手のイゾルデ」の姦計により、トリスタンは絶望のうちに死ぬ。

 そして、間もなく駆けつけたイゾルデも、悲しみのあまり絶命してしまうのが、この悲恋物語の骨子である。この物語からシェークスピアは『ロミオとジュリエット』を戯曲化した。またワグナーもオペラにして、ジャン・コクトーは映画化している。

 ドニ・ド・ルージュモン(Denis de Rougemont、1906 - 1985)はその著作『愛について(エロスとアガペー)』で、こうした極端な恋愛の形を「情熱恋愛」と名づけて、あらゆるロマンティックな破滅的な恋愛の原型とみなしている。苦悩を求めて、不自由な試練により、永遠に結ばれない恋、快楽の拒絶、不幸な悲恋でなければ、激しい情熱の燃焼はない恋愛の魔力を、「情熱恋愛」という言葉に封じ込めてこう表現したのである。