オイディプスはテーバイの王であり、ロトはイスラエルの族長であり、ネロはローマの皇帝であり、パイドラーはアテナイの王妃であり、セミラミスはアッシリアの女王であり、ドン・カルロスはスペインの王子であり、ハムレットはデンマークの王子であり、『メッシーナの花嫁』の兄弟たちはシチリアの公爵家の子であり、聖グレゴリウスはフランドルおよびアルトワの君主の孫であり、フランチェスコ・チェンチはイタリアの名門の当主であり、ジークムントはネーデルランドの王であり、チェザレー・ボルジアはローマ法王の子であり、そして本邦では木梨軽皇子は大和朝廷の天皇の子である。
また現代の文学や映画の作品では、ジャン・コクトーの『恐るべき子 供たち』 、ムジールの『 特性のない男』、サルトルの『アルトナの幽閉者たち』、サガンの『スウェーデンの城』、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』などの文学作品。映画ならば、ビスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども(The Damned)』、ルイ・マルの『好奇心』、ティム・ロス監督の『素肌の涙』といった作品。本邦では、夢野久作の『瓶詰め地獄』、三島由紀夫の『熱帯樹』、野坂昭如の『骨餓見峠死人葛』、中山可穂の『白い薔薇の淵まで』等など・・・・・・
このエロスの万華鏡は、すべて近親相姦という禁忌を侵犯した高貴なる者たちが登場する神話であり、伝説であり、物語なのである。高貴な血統というナルシズムと、さもなくば孤立した環境で展開される性的な関係性が、各々共通していて、そのどちらも兼ね備えたチェンチ一族の城で起こった出来事などは典型的な事例であろう。
1985年公開の日本映画で『魔の刻』は降旗康男監督の作品であるが、母子相姦を題材にしたきわめて日本では珍しい映画だった。主演の母親役を岩下志摩、その息子に坂上忍が演じていた。その 頃の岩下志摩は45歳くらいで、この映画の配役には当時として適任の女優であった。
監督の降旗氏は東映任侠路線で活躍していたが、1978年の『冬の華』、81年の『駅 STATION』、83年の『居酒屋兆治』と名作を作っている。85年の『魔の刻』は残念ながら駄作であった。主演女優の岩下志摩は確かに美しかったが、脚本や演出に禁断のエロティシズムにおけるリアリティーな描写は薄すぎていた。
映画は観ていないのだが、同じく兄妹と母子という二重の近親相姦による血の呪われた悲劇を描いた伝奇小説『狗神』は映画化もされた作品。あのオイディプス王と同じように自らの意志ではなく呪われた運命で母と婚姻をとげるように、小説のヒロインは呪われた宿命のために意志と関わらずに2度の近親 相姦の罪に堕ちる。
坂東真砂子の『狗神』は日本人の土俗的な感性に密着したホラー小説で伝奇ロマンの傑作。小説の舞台は高知の山里で、四十路の今日まで恋も人生も諦めた和紙職人の美希がヒロインで、美希の一族は村人から“狗神筋”と忌み嫌われていた。それでも平穏な日々を送っていた美希の前に突然に現れた孤独な美青年・晃の登場により、美希と晃はお互い心惹かれあうが、やがて血の呪われた悲劇が幕をあける。
さて、『魔の刻』であるが、この映画にも原作がある。北泉優子が1982(昭和57)年に講談社で発表している小説なのである。映画では母子の関係ばかりに膠着していたが、小説では夫婦、親子の家庭状況と崩壊の悲劇、貞淑で平凡な 妻の不貞と近親相姦に至る克明な描写、夫の不倫とその恋人との葛藤と心理劇、恐るべき母子相姦に至る愛憎劇はリアルな展開で迫真の呪われた物語を奏でる。
この小説には高貴な血統による自己愛の物語も、孤立した環境の特殊な世界も登場していない。現代の日本のエリート層ではあるが、ごく一般的な家庭環境から母子相姦という禁断の愛を描く筆力は高く評価されるであろう。