ヴィスコンティの『ベニスに死す』、フェリーニの『サテリコン』、ケン・ラッセルの『サロメ』、ファスビンダーの『ケレル』、ジェームス・アイヴォリーの『モーリス』、エクトール・バベンコの『蜘蛛女のキス』、アニエス・ホランドの『太陽と月に背いて』などの映画はボクの好きな映画であるが、いずれの作品も男性の同性愛的なテーマが大きく映画の背景にある。
特に『ベニスに死す』はボクが一番好きな映画といってもいいが、男同志の愛を映画にした作品のなかでも、スティーブン・フリアーズ監督の1986年に公開された英国映画『マイ・ビューティフル・ランドレット』が一番のお気に入りである。
主演のパンク青年をダニエル・デイ・ルイスが演じているが、英国の舞台俳優として当時は、彼は かなり脚光を浴びていたが、これは彼のスクリーンデビュー作でもある。
1980年代に英国のサッチャー政権は、米国のレーガン政権、日本の中曽根政権のもとで、経済の安定化を図り、福祉国家の実現や「大きな政府」を支持する古典的な自由主義に対して、最小限の国家的役割(防衛や治安)を限定して、「小さな政府」を用いたのが新自由主義で、民営化路線や減税を進めていった時代である。
そして、サッチャリズムの英国は1980年代の映画やTVドラマで、当時の世相がネオリベラリズムの反映した状況を描いた作品がいくつか生まれたが、その英国の時代状況を的確に捉えた映画のひとつに、スティーブン・フリアーズ監督、ハニフ・クレイシ脚本、ダニエル・デイ・ルイス主演の映画「マイ・ ビューティフル・ランドレット」が製作・公開された。
特に『ベニスに死す』はボクが一番好きな映画といってもいいが、男同志の愛を映画にした作品のなかでも、スティーブン・フリアーズ監督の1986年に公開された英国映画『マイ・ビューティフル・ランドレット』が一番のお気に入りである。
主演のパンク青年をダニエル・デイ・ルイスが演じているが、英国の舞台俳優として当時は、彼は かなり脚光を浴びていたが、これは彼のスクリーンデビュー作でもある。
1980年代に英国のサッチャー政権は、米国のレーガン政権、日本の中曽根政権のもとで、経済の安定化を図り、福祉国家の実現や「大きな政府」を支持する古典的な自由主義に対して、最小限の国家的役割(防衛や治安)を限定して、「小さな政府」を用いたのが新自由主義で、民営化路線や減税を進めていった時代である。
そして、サッチャリズムの英国は1980年代の映画やTVドラマで、当時の世相がネオリベラリズムの反映した状況を描いた作品がいくつか生まれたが、その英国の時代状況を的確に捉えた映画のひとつに、スティーブン・フリアーズ監督、ハニフ・クレイシ脚本、ダニエル・デイ・ルイス主演の映画「マイ・ ビューティフル・ランドレット」が製作・公開された。
そのあらすじは・・・・・・
パキスタン青年オマール(ゴードン・ウォーネック)は、父(ロシャン・セス)とロンドンのみすぼらしいアパートに住んでいた。父はかつてボンベイで新聞記者をしていたインテリだが、今では妻を亡くしアルコール漬けになって一日じゅうベッドにいることが多い(枕もとにはスミノスのウォッカがあり喇叭飲みしている)。
働かずに失業手当をもらっている息子を心配して、アル中の父は、実業家の弟のナセルに電話して、息子をガレージで使ってくれと頼んだ。ナセルが経営するガレージで車磨きの仕事を始めるオマール。そん な彼にナセルが「イギリスでは欲しいと思うものは何でも手に入る。だから、この国を信じ、システムの乳房をしぼればいいんだ」と説く。彼はこの方針に基づいて金を儲け、英国人女性レイチェルを情婦にしていた。そんなナセルの考え方を認めない父は、弟のナセルに深入りするなと、息子オマールに忠告する。
ある日、ナセルに招かれて彼の瀟洒な館に行ったオマールは、叔母や従妹のタニア、商売仲間に紹介され、ナセルの成功、富裕さに感心してしまう。親族のサリムの車で帰宅する途中、パンク連中と一緒にいるジョニー(ダニエル・デイ・ルイス)を見かけた。彼は5歳の時からの幼馴染みだったが、その後、ナショナル・フロントに参加し、アジア移民追放を叫んでデモ行進をしているのを目撃したこともあった。
南ロンドンにあるコイン・ランドリーの経営を、叔父から任せてもらえることになったオマールは張り切るが、浮浪者は出入りするし、洗濯機もガタがきていて、思うようにうまくいかない。ジョニーと連絡をとり、彼に手伝ってくれと頼んだが、ワルの世界から足を洗うつもりになったジョニーも承諾する。
サリムから麻薬の運び屋の仕事を受けおったオマールは、麻薬の一部をくすね、それを売った金を改装費に当てる。ナセルはジョニーを雇ったと聞くと、自分の仕事を手伝うならいいだろうと言う。その叔父のお手伝いの仕事とは、家賃を払わないパキスタン人の貧乏詩人を、ナセルが経営するアパートから追い払うことで、「パキスタン人がこんなことをするのか」と尋ねるジョニーに、ナセルは「俺はプロのパキスタン人ではなく、プロの商売人だ」と答える。
洗濯機を新しくして、壁には絵を飾り、外には新店名パウダーズのネオン・サインをつけて見違えるようになったコイン・ランドリーの新装開店の日。店内ではナセルとレイチェルがダンスをし、奥では全裸になったオマールとジョニーが接吻をし抱き合う。やがて、テープ・カットが行われ、お客がどっと店内へ。そこへタニアがやってきて、あわてるナセル。彼女はレイチェルに向い「男に囲われている女なんて寄生虫と同じよ」となじる。その言葉に傷ついたレイチェルは、ナセルの娘に言った「私も養われているが、あなたもお父さんに養われているのヨ」。
夫の不貞に怒ったナセルの妻は、薬草、鳥の嘴、鼠の屍骸で魔術的秘薬を作り、これで呪法を用いて夫の情婦を殺そうと企てる。レイチェルは体に湿疹がでて呪いを悟り、オマールと別れる決意をする。
ナセルの娘タニアもレイチェルの一言に家出を決意して、ジョニーに駆け落ちをせまるが、ジョニーはオマールを裏切れないと断り、やがてタニアは独りでロンドンを去る。
ジョニーの仲間のパンク連中は、ある日、サリムに仲間の一人を故意に轢き逃げして怪我を負わせたが、パウダーズの前に駐車中にその仕返しを受ける。車はメチャクチャに破壊され、サリムも死ぬほどの暴行を受けるが、ジョニーは意を決して仲裁に入り、かつてのパンク仲間から逆にやられてしまうオチになる。やがてオマールが血だらけのジョニーを見つけてエンディングへ・・・・・・ 。
この物語で映画の冒頭部に、スラム化した街の一角の廃墟に近いアパートが冒頭シーンに映る。そこへ無断で生活しているパンク愚連隊が、屈強の用心棒である黒人に追い出されるのが印象深い映像。その追い出されたジョニー役のダニエル・デイ・ルイスが、今度はパキスタン人の命令でパキスタン人の貧乏詩人を追い出すハメとなる。
舞台はロンドン南東部、白人労働者階級及びウェスト・インディアンやインド系移民が多数をしめるルイシャムと呼ばれる地区。映画製作の数年前にはウェスト・インディアンの大暴動で一躍有名となり、スラム化したところもあるエリアであった。
舞台はロンドン南東部、白人労働者階級及びウェスト・インディアンやインド系移民が多数をしめるルイシャムと呼ばれる地区。映画製作の数年前にはウェスト・インディアンの大暴動で一躍有名となり、スラム化したところもあるエリアであった。
オマールとジョニーの間には、過去の溝があるが、二人はそれをお互い一つの目的のために乗り越えようとする。溝とは、 かつては幼なじみではあったが、ジョニーは青年時代に右翼的な移民排斥運動にたずさわってパキスタン人をはじめ移民を斥けようとした。白人のジョニーとパキスタン人のオマールという人種の溝もあるが、お互いにかつては学校では優等生であり前途洋々の筈であったが、しかし今では失業者であり、やっと職ににありつけて希望を見出していくことで、その溝を埋めていくところに、この映画の前向きな明るさがある。
脚本家のハニフ・クレイシはイギリス人とパキスタン人の混血で、ジョニーとオマールという存在は、脚本家の分裂した存在の反映であり、分身としての自己の同一性を求める愛の映画とも考えられる。この映画のエロスの劇場には、男と女、男と男、人種と差別、貧困と富裕など英国の時代状況を的確に捉えた秀逸な作品である。(了)
脚本家のハニフ・クレイシはイギリス人とパキスタン人の混血で、ジョニーとオマールという存在は、脚本家の分裂した存在の反映であり、分身としての自己の同一性を求める愛の映画とも考えられる。この映画のエロスの劇場には、男と女、男と男、人種と差別、貧困と富裕など英国の時代状況を的確に捉えた秀逸な作品である。(了)