東映ヤクザ映画「博奕打ち」シリーズの第四作『 総長賭博』は、1968(昭和43)年に山下耕作監督、笠原和夫脚本、鶴田浩二主演の作品。
この映画は三島由紀夫が絶賛した事でよく知られる、東映ヤクザ映画の伝説的な最高傑作である。そのあらすじは・・・・・・
昭和のはじめ天竜一家の総長が倒れたことから、跡目相続の問題が浮上する。中井信次郎(鶴田浩二)が二代目を推挙されるも、服役中の兄弟分であり、妹弘江(藤純子)の亭主の松田(若山富三郎)を推して辞退する。しかし、服役中であることを理由に、組長の娘婿である石戸(大木実)が二代目を継ぐこととなった。
出所した松田は兄貴分の自分をさしおいての二代目決定に怒り、石戸に殴り込みをかける。これにより謹慎に処せられてしまった松田だが・・・・・・実は、この二代目襲名には松田を失脚させ、一家を乗っ取ろうという仙波(金子信雄)の画策が裏にあった。
松田と石戸の間を取り持とうとする中井だが事態は裏目裏目に出てしまい遂に、松田の子分である音吉が石戸を襲撃して事件が起きてしまう。一度は音吉を匿った中井だが、妻のつや子(桜町弘子)は音吉を逃がしてしまった責任を取って自害してしまう。
二代目披露花会の日、石戸は仙波の画策を知らされ初めて自分が利用されていた事に気づく。しかし、その直後に松田に襲われて手負いを受けた石戸は、仙波組の手の者に殺されてしまう。荒川一家存続のために松田を斬った中井は怒りを胸に抱き、単身で仙波の元に向かいその手で畳に沈めるのだった。
DVDのパッケージにある宣伝文には、三島由紀夫が激賞した作品とあり、「絶対的肯定の中のギリギリに仕組まれた悲劇」と書かれていて、名作中の名作と宣伝文句の推薦文が掲載されている。
1971年(昭和46年)の初版で、三島由紀夫の著作に『蘭陵王』がある。これに「鶴田浩二論~“総長賭博”と“飛車角と吉良常”のなかの~」という一文は、昭和44年の「映画芸術」3月号に掲載された文章らしく、ボクの拙い映画評論よりは、この一文のほうが断然によいので以下に掲載させていただく事にしよう。
その前に、『蘭陵王』にある「鶴田浩二論」の書き出しには、内田吐夢映画監督による『飛車角と吉良常』の作品に出演した鶴田浩二の演技に甚だ感心したと、まずあり、阿佐ヶ谷の映画館まで『総長賭博』を観にいく話から始まる。小雨そぼふる月曜日の夜を阿佐ヶ谷パールセンターを通り、旧国鉄阿佐ヶ谷駅南口の小さな古ぼけた映画館に脚を運ぶ描写から始まる。
パールセンターを歩く三島は天蓋付きの商店街を歩いたと表しているが、旧国鉄中央線阿佐ヶ谷駅で降りずに、パールセンターを歩いたとすれば、地下鉄丸の内線の南阿佐ヶ谷駅で降りたと想われ、そこから徒歩で行ったと思わしい。
けばけばしい看板がわびしく見える映画館には、切符売場に人影が無く、最終回の映画は始まりだしていたので三島は焦り、気持ちが急いていたが、映画館の奥から割烹着のおばさんが下駄の音もかしましく切符売場へ戻ってきたので、とにかくもホットする。
急いで切符を買って中へ入ると、思っていたよりはかなりの入りで満席に近い、最前列の座り心地が悪くヤケに低い椅子に腰掛ける。舞台上手の戸がたえずきしんで、あけたてするたびにバタンと音を立て、しかもそこから入る風がふんだんに厠の臭いを運んでくるのであった。・・・・・・それでは以下は三島の文を抜粋して載せよう。
・・・・・・このような理想的な環境で、私は、『総長賭博』を見た。そして甚だ感心した。これは何
の誇張もなしに「名画」だと思った。何という自然な糸が、各シークエンスに、綿密に張りめぐらされて
いることだろう。セリフのはしばしにいたるまで、何という洗練が支配しキザなところが一つもなく、物
語の外の世界へ絶対の無関心が保たれていることだろう。(それだからこそ、観客の心に、あらゆるアナ
ロジーが許されるのである)何と一人一人の人物が、その破倫、その反抗でさえも、一定の忠実な型を守
り、一つの限定された社会の様式的完成に奉仕していることだろう。たった一箇所、この小世界が破れか
かる右翼団体のエピソードがあるが、それすら麻薬密売をたくらむ暴力右翼で、何らイデオロギーも、そ
の批判も匂わない。何という絶対的肯定の中にギリギリに仕組まれた悲劇であろう。しかも、その悲劇は
何とすみずみまで、あたかも古典劇のように、人間的真実に叶っていることだろう。
雨の墓地のシーンは、いずれもみごとな演劇的な間と、整然たる構成を持った完全なシーンで、私はこ
の監督の文体の確かさに感じ入った。この文体には乱れがなく、みせびらかしがなく、着実で、日本の障
子を見るように明るく規矩正しく、しかも冷たくない。その悲傷の表現は、内側へ内側へとたわみ込んで
抑制されているのである。
---------------------------------------------------------------------------------------
上の文章の後に、鶴田浩二の男の美学とダンディズムへと語り口は移行していくのだが、『蘭陵王』という三島由紀夫の著作は、昭和42年から45年の三島の最晩年の評論で、三島由紀夫の死後、昭和46年に刊行された名著であり評論集なのである。(了)