三島由紀夫のエロティシズム#7『人斬り』 | 空閨残夢録

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 五社英雄監督の1969(昭和44)年の作品である『人斬り』のリバイバル上映を東京で観たのが1985年のことである。まず、この映画をみて強く感じたのは迫力ある殺陣であり、冒頭から勝新太郎演ずるところの岡田以蔵が一人で居合いをする場面では、電信柱より太い樹木を、横に一刀両断するシーンは実際に切断しているように見えて、トリックにみえないので驚かされた。

 主演は勝新太郎が岡田以蔵役、世に知れた「人斬り以蔵」こと、土佐勤皇党の幕末の“四大人斬り"の一人を演じている。幕末四大人斬りのもう一人に薩摩藩士の「人斬り新兵衛」こと、田中新兵衛を演じるのが三島由紀夫である。

 二人のテロリストの他に、彼らを影で操る土佐勤皇党の重鎮は武市半兵 太を仲代達矢、また坂本龍馬を石原裕次郎が演じている豪華キャスト陣。この映画の岡田以蔵は獣性にあふれた実践的な剣法で、きって、斬って、斬りまくる激剣を揮う剛腕の持ち主。この映画の殺陣は日本のチャンバラ映画史上に、燦然とリアリズムに徹している伝説的な作品である。

 命じられて刺客となり暗殺を難なくこなして、裏の仕事を武市半平太に認められて、その金で儲けで酒がたらふく呑めて、女が抱ければ、それだけでイイと、単純に以蔵は、ただそれだけで日々よかった。以蔵には尊皇も攘夷も革命もない。あるのは情動と獣性が赴くままにテロルを実行する快楽に身を任せて、武市半兵太に評価されることだけが最大の幸せであった。

 斯様な岡田以蔵の迫力ある殺陣と双璧をなす ように、三島由紀夫を演じる田中新兵衛の気迫ある演技は迫真へとせまる。そして殺陣よりも激しく渾身を越えて演じられる切腹場面では、演技を超絶した激しい緊張を発散してあまりにも激烈だ。

 この映画が公開されて1年後に三島由紀夫は現実に割腹自決を遂げるのだが、まるで映画『人斬り』での切腹場面が、今思うに予行演習であったような気分にされてしまう緊迫した迫真の演技であった。

 この映画で、武市半兵太が当時34歳、坂本龍馬28歳、田中新兵衛22歳、岡田以蔵25歳である。史実では一番若い田中新兵衛が、当時三島由紀夫44歳で主演男優のなかでも一番年上にも関わらず、何故か年齢的なものを越えて颯爽として一番若々しく見えるのが不思議な気持ちにさせられる。五社監督の映画 では、ボクはこの映画が一番の渾身の力作で傑作時代劇だと思うのだが、名作に間違いない幕末チャンバラ映画である。




 さて、世界に類をみない切腹という日本独自の風習はサディズムとマゾヒズムの極致である。このSとMの行きつくところは間違いなく《死》である。ジョルジュ・バタイユは「エロティシズムとは死にまで至る生の称揚である」と定義したが、愛の相対的な関係性を極限まで高めて極めれば、絶対的な関係性へと収斂しパラフレーズされる。

 切腹の深層心理学的な分析はむずかしいだろうし、それがエロティシズムと関連して語るのは難解でもある。切腹願望が如何なる心理から生れるものか、コンプレックスという語が示すとおり、それは複雑にして怪奇、かつ錯綜した心理状態そのものと言い表すしかないであろうが、そのエロスの深淵に触れることより、表層的な事例をここ では披瀝するのみとする。

 切腹の発祥から、その歴史を一貫して俯瞰してみると、その総体を一括すれば“悲壮美”という世界に尽きる。古来、切腹の事件で源為頼が有名である。追っ手にかこまれた為頼は、もはや捕囚となる身よりも、と、家の柱に背を当てて腹をかっさばいたが死にきれず、背骨を切断してやっと息絶えたと伝わる。つまり、脊髄の中枢神経を切断したわけである。

 腹を切るといっても、第二次世界大戦後から現代にいたるまで、テレビの時代劇くらいでしか、そのイメージを目にすることはなくなったであろうが、江戸時代の武士でさえも現実に切腹を目撃したり、観察記述した記録は数少ない。徳川幕府約250年の治世で刑としての切腹の記録はわずかに20件ほどしか執行され ていないのである。

 江戸時代の幕末における騒乱期以外は刃傷沙汰や、はてや切腹というイメージは歌舞伎や伝聞による形を通じてしか世間の人々は見聞きすることはなかったのが実情である。

 さて、切腹行為の文献的初見は、永保3年(1083)から寛治元年(1087)にわたる『後三年合戦絵巻』の一部にある絵画で見受けられる。切腹した男が右手に短刀を握り、一文字の切口から腸を引き出して倒れている姿がある。

 この絵巻にある以前から切腹という行為はあったであろうと思われる。和銅6年(713)の『播磨国風土記』にある記述に腹辟(はらさき)の沼の由来を表した箇所があり、この沼に切腹した者が没ちたことが述べられてる。新渡戸稲造はその著作の『武士道』で切腹の意義を論述 しているが、その解義たるや民俗学的に重要と思われる。

 鎌倉時代に登場し、江戸時代初期に格式化された切腹は、武士の名誉ある刑死や自決として一つの《式次第》ができあがった。介錯人を頼むことがその一つで、古式にある腸(はらわた)をひっぱりだす必要はなくなり、形式的に単純化される。

 生理学的に切腹は死に至るまで時間を要する。つまり、腹部には大血管が通っていないので、即時に生命は失われず、長期の苦痛をともない絶命まで長くかかる。自殺という目的からすればかなり効率の悪い方法だといえる。

 されど自殺マニアにとっては魅力的な方法が切腹でもある。古来に怨みを相手にぶつけて無念をはらす悲壮美としての自殺という表現行為が、過剰な表現形式である が故に爽快感へと意識は為んなく転移する。その満足を与える爽快さは快楽へと変質するのはマゾヒズムの境地でもある。また罪の意識を抱える者には誠意を見せる格好のスタイルとしての自殺形式なのである。