三島由紀夫エロティシズム#6『憂国(黒い血の衝撃)』 | 空閨残夢録

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 三島由紀夫没後、伝説として語り継がれてきた“幻”の映画である『憂国』がDVD化されたのは2006年のことであった。1966年に『憂国』は劇場公開されのだが、三島由紀夫没後に夫人の意向で『憂国』の上映プリントは処分されてしまったと伝わる。

 しかし密かに三島邸で封印されていたネガ・フィルムが発見されて、2009年にDVD化の運びとなるのだが、ボクは25年程前に有志により秘匿されていたフィルムを或る同好会が主催した上映会で、この『憂国』を観ていた。

 原作・脚色・製作・監督:三島由紀夫、プロダクション・マネージャー並びに製作:藤井浩明、演出:堂本正樹、撮影:渡邊公夫、主演:三島由紀夫、鶴岡淑子/1965年製作、35mm 黒白スタンダード版、上映時間28分。

 能舞台に見立てた美術セット、そこで行われる愛の交歓シーン、そしてリアルな切腹行為が展開して、全編セリフなしの白黒の映像には、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の「愛の死」がすべてのエモーションとなる。

 物語は、昭和11年、“2.26事件”が勃発、新婚であるがゆえに仲間から決起に誘われなかった武山中尉(三島由紀夫)は、皮肉なことにかつての親友たちの鎮圧を命ぜられる。国も友も裏切ることのできない中尉は、妻の麗子(鶴岡淑子)と共に自決の道を選択する。

 この「愛と死の儀式」を拙い言葉でボクが語るよりは、ここで三島由紀夫の文学の盟友である澁澤龍彦の評論から一文を掲載したいと思う。

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 「黒い血の衝撃 (―三島由紀夫「憂国」を見て―)」




 三島氏はこの映画で、日本人の集合的無意識の奥底によどんでいるどろどろした欲望に、映像としての

明確な形をあたえ、人間の肉の痙攣としてのオルガスムを、エロティシズムと死の両面から二重写しに描

き出した。愛欲のオルガスムがあるように、死のオルガスムというものがある。簡素な能舞台で、主人公

の陸軍中尉とその妻は、ふしぎな相似形を示した二度のオルガズムに陶酔する。そして、それだけであ

る。余分なものは何もないのである。

 割腹する青年将校の胸にしたたる汗の玉。口からあふれ出る血。苦悶の歯ぎしり。とび出す腸。そして

腹部から下帯からズボンから、刀を握った手まで真っ黒に濡らすおびただしい血、血、血。

 ――これらがカメラの目によって隅々まで眺められ、キャッチされた死のオルガズムの兆候であり、こ

の死と格闘してのたうちまわる夫を、観客とともに三十分、眺めなければならない妻は、あたかも夫を愛

撫を受けたかのように次第に陶酔に巻きこまれ、かすかに口をあけてあえぎながら、膝を乗り出してゆ

く。この着物を着た日本のイゾルデは、最後まで決して目をつぶらない。

 俳優としての三島氏は、軍帽をま深にかぶり、一度も顔をあらわさず、その魂の深い深いところで行わ

れているはずの情念の葛藤を、決して外にあらわさないための配慮をこらしている。

 それは無言の、孤独の、肉体という袋のなかに完全に閉じ込められた情念の劇であるから、伝達不可能

なものであり、ただ私たちのは、この肉体の袋を突き破ってほとばしる血の顕現によって、わずかにそれ

をうかがい知ることしかできないのである。血を流さなければ、断固として流通し得ない情念が存在して

いることを、この映画は教えている。


                                            (「東京新聞」昭和41年3月某日)

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 この映画の原作になった三島由紀夫の短編小説『憂国』は、昭和36年1月冬期号の「小説中央公論」に書き下ろされたものである。