2024年は、元日から大変な騒動になりました。
2022年5月に私たち夫婦は、石川県の七尾市から
妻の実家である広島に戻ってきました。
実に20年ぶりでしょうか。
息子も何故か、ひと月後には勤務先を退職してついてきてしまいました。😅
その事では、私たちが能登地震に遭遇せずに済んだという幸運の出来事と言って良い様なことになってしまいました。
能登の七尾の皆さんの事を思うと何かできないかと小さいですが、支援を続けています。
広島に戻るには私たちなりの理由がありました。
妻の母が4年前に他界して、兄弟居るものも高齢な父親の近くで、何かとそばにいてあげられる環境が必要なのだと私たち夫婦は感じていたからです。
4年前に妻も母親が他界した際にも、遠い兄弟という他人の様な扱いをされました。
実際には遠いところに住んでいて、自由に行き来できる状態ではなかったのはその通りで、ある程度は覚悟してはいました。
その原因は、私と妻が一緒になろうとした時に、妻の母は、嫌がっていたことに端を発していることも想像つきます。
その後妻の兄弟は、妻とは兄弟として会話することすらなくなって、他人の様になって会うことはもちろん無く、あっても目も合わせない状態になってしまっていました。
私には理解すらできません。
能登地震で幕開けのこの年、まさかと思っていた事が起こってしまいました。
妻の父が、年明けに入院しそのまま戻らない人となってしまったのです。
入院直後の意識ある時には見舞うことができました。
その後容態急変が起こり、苦しまれている状態に陥りました。
同居の妻の弟には、面会規制はあるもののいざという時には遅滞なく連絡する様に伝えていましたが、先日妻の父親が他界する際、もう時間がないという時にも妻には兄弟から連絡が入りませんでした。
たまたま、私が前日の土曜に見舞った際に父親の症状芳しく無く、まさかがあってはと思ったので、翌日曜出勤していた妻を、昼休憩中に見舞いに行こうと連れ出したのですが、すでに時遅しでした。
病室に入ると施設の片付けの最中、病室移動したのかと聞くと、先ほど他界し、今地下に降りられたところです、と言って看護師さんが案内してくれました。
丁度葬儀屋の車に乗せられるところでした。
何も言わない兄弟(妹と弟)は、亡骸と共に病院を出ていきました。
何の感情もないのか?
私は、すぐ様土曜には危篤状態だったんだなということ感じ取り、その時一体何で教えないのか?との
怒りを押し殺し、残った妹の旦那に自宅に行ったのかと聞くと、
お寺ですとだけ言われました。
腹立ったけど、妻は職場に一旦戻らないといけない状況だったので、妻と別れ私と息子は、お寺に向かいました。
ここでもなぜにこんなになるのかという思いをさせられました。
お寺に着いた時は、もうすでに枕教は済まされていました。
なぜ待てないの?
葬儀が済むまで、とにかくむしゃくしゃしていましたが、妻はじっと耐えているので、私もそれにならい、49日が済むまでは、我慢することにしました。
如何にもこうにも収まりがつかない自分の想いを整理しておきたかったのです。

すみません🙇。
つい愚痴を書いてしまいました。
ガス抜きです。😭

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