桑田さんのお姉さん
岩本えり子さんが19日、お亡くなりになりました。56歳でした。
以下、サンスポの記事より。
桑田佳祐の姉が死去ソロ活動発表直前 年内で活動休止宣言をしているサザンオールスターズ・桑田佳祐(52)の実姉、岩本えり子さんが19日、神奈川県内の病院で死去していたことが22日分かった。
56歳だった。
音楽面で桑田にに大きな影響を与え、サザンファンの間でも有名な存在だった。
長いがん闘病を献身的な介護で支えてきた桑田にとっては、これ以上ない悲しい結末となった。
関係者によると、岩本さんは1995年に乳がんを患っていたが克服。
しかし、今年初めに体調を崩し、検査の結果、末期がんであることが分かった。
桑田は、国内やハワイの名医を紹介するなどして、姉の治療を全面的にサポートしてきた。
19日になって容体が急変して病院で亡くなったという。
桑田の両親は茅ケ崎市内で映画館や飲食店の経営を手がけ、多忙がちだった両親に代わって、えり子さんは桑田の枕元で歌謡曲を歌ってきかせた。
桑田は後にマスコミのインタビューで「寂しいから手を握って『上を向いて歩こう』を歌っているうちに寝ちゃったりね」など、姉から多大な音楽的影響を受けたことを明かしている。
えり子さんは結婚後、75年から96年まで米カリフォルニアに滞在、その後帰国して茅ケ崎市内で夫と子供の3人で暮らしていた。
サザンの代表曲のひとつ「いとしのエリー」は、桑田が妻である原由子(51)のために歌った曲だが、ファンの間では渡米する岩本さんとの別れを惜しんだ桑田が姉を思って作ったという“伝説”まで残っている。
また、英語が堪能な岩本さんは、「波乗りジョニー」や「黄昏のサマー・ホリデイ」など、桑田の楽曲で英語歌詞を補作するなど、音楽制作に参加していた。
環境保護活動にも熱心で、「はまけい(茅ケ崎・浜景観づくり推進会議)」の代表として活動。
2005年10月、茅ケ崎市内の「サザンビーチちがさき」として知られる海岸沿いに14階建ての高層マンション建設計画が持ち上がったときには、「茅ヶ崎を愛する者として絶対に許せない」と反対運動の先頭に立ち、最終的に建設計画の変更を勝ち取っている。
昨年の茅ケ崎市長選では、一時、地元から出馬を待望する動きがあり注目された。
心から
ご冥福をお祈り致します
岩本えり子さんが19日、お亡くなりになりました。56歳でした。
以下、サンスポの記事より。
桑田佳祐の姉が死去ソロ活動発表直前 年内で活動休止宣言をしているサザンオールスターズ・桑田佳祐(52)の実姉、岩本えり子さんが19日、神奈川県内の病院で死去していたことが22日分かった。
56歳だった。
音楽面で桑田にに大きな影響を与え、サザンファンの間でも有名な存在だった。
長いがん闘病を献身的な介護で支えてきた桑田にとっては、これ以上ない悲しい結末となった。
関係者によると、岩本さんは1995年に乳がんを患っていたが克服。
しかし、今年初めに体調を崩し、検査の結果、末期がんであることが分かった。
桑田は、国内やハワイの名医を紹介するなどして、姉の治療を全面的にサポートしてきた。
19日になって容体が急変して病院で亡くなったという。
桑田の両親は茅ケ崎市内で映画館や飲食店の経営を手がけ、多忙がちだった両親に代わって、えり子さんは桑田の枕元で歌謡曲を歌ってきかせた。
桑田は後にマスコミのインタビューで「寂しいから手を握って『上を向いて歩こう』を歌っているうちに寝ちゃったりね」など、姉から多大な音楽的影響を受けたことを明かしている。
えり子さんは結婚後、75年から96年まで米カリフォルニアに滞在、その後帰国して茅ケ崎市内で夫と子供の3人で暮らしていた。
サザンの代表曲のひとつ「いとしのエリー」は、桑田が妻である原由子(51)のために歌った曲だが、ファンの間では渡米する岩本さんとの別れを惜しんだ桑田が姉を思って作ったという“伝説”まで残っている。
また、英語が堪能な岩本さんは、「波乗りジョニー」や「黄昏のサマー・ホリデイ」など、桑田の楽曲で英語歌詞を補作するなど、音楽制作に参加していた。
環境保護活動にも熱心で、「はまけい(茅ケ崎・浜景観づくり推進会議)」の代表として活動。
2005年10月、茅ケ崎市内の「サザンビーチちがさき」として知られる海岸沿いに14階建ての高層マンション建設計画が持ち上がったときには、「茅ヶ崎を愛する者として絶対に許せない」と反対運動の先頭に立ち、最終的に建設計画の変更を勝ち取っている。
昨年の茅ケ崎市長選では、一時、地元から出馬を待望する動きがあり注目された。
心から
ご冥福をお祈り致します