いる。最近では、子供は塾、母親はパートや趣味など個々のライフスタイルが多様化してきている。ライフスタイルの多様化にともない孤食化・家族との会話機会の低下などでコミュニケーションがかつてほどなくなっている。それに加え地域社会の機能低下もあげられる。その一方で、インターネット・携帯電話の普及によりコミュニケーションツールは以前と比べ多くなった。周りに常に誰かがいた時代から、自分で誰かをつなぎとめていかなくてはならない時代へと、社会が変化してきているのだろう。結果、携帯電話依存・常に他者とのかかわりを求めずにはいられなくなってきている人々が増えてきている。孤立することを恐れ、自分の意見さえも黙殺して生きていかなければならないのだ。同調圧力の中、皆と同じように、目立たないように、回りを常に気にしなければならない。でないと集団から弾き飛ばされ、孤立してしまうからだ。自分が孤立するのを恐れ、ターゲットを作り出し、そいつを弾くようにしむけ、自分が孤立しないようにするのが、いじめの構造ではないだろうか。いじめられている子はまさに集団から孤立している。しかしそもそも人は本来,孤独である。孤独であることを人は嫌う。人が孤独であること。それは淋しいことであったり、辛いことであったりする反面、大切なことであり、必要なことであり、自分自身を育むものでもあると思う。けれどもそれはやはり、歳を重ねるという流れの中では、次第に悲しいものであるという側面が強まるのではないのではなかろうか。 この作品は死と孤独がテーマだと私は考えるが、孤独と言うのは生の宿命で、死の側のものではない、という強いメッセージ性があるような気がする。友達100人出来ても、死が二人を分かつまで誓った愛が有っても、血を分けた親兄弟でも、どうしたって、埋められない溝があるのは、自我を持ち、個として生きることを選んだ種の宿命なのである。
「トニー滝谷」の始まりは滝谷省三郎の生い立ちが書かれている。生い立ちもあっさりしたもので詳しくは語らず、淡々と話がすすんでいく。この作品全体にいえることだが、カギ括弧でくくられた会話はなく、平易な文章で構成されており、また独自の比喩表現も多く見受けられる。文章自体は簡単なのだが、比喩や平易な文章に隠された彼のメッセージを読み取るのは非常に難しい。彼のこういった技法が多くの読者をひきつけ日本だけでなく、世界でも読まれる要因だと考える。
トニー滝谷は孤独を意識しないまま生きて来た。孤独を感じるのは、それが孤独だと認識している自分がいるからだと考える。英子に出会う前のトニー滝谷は、状況的に孤独であった。周りに絡む人を作らないという意味での孤独であって、孤独感や疎外感は特に感じていなかった。むしろ彼は孤独を享受していた。状況的に孤独であるということと、自覚として孤独感を持つことは違う。初めて手に入れたいものを見つけてしまったとき、トニーの孤独は始まった。何かを手に入れたいと思うということは、そのものが今、自分のもとにないということを強く意識することだ。友達も、仕事も、お金も、恋人も、それなりに手にはしていたけれど切望して手に入れたわけではない。ただ、たまたまあったか、手に入っただけだ。だから当然執着もしていない。なくなったとしても、何も思わなかったかもしれない。しかし、失いたくないと思ったものを実際に手に入れてしまうと、不安で不安でしょうがない。自分が孤独ではないと気づいたとき、大切なものを失えば孤独になるのだということにも気づく。失う恐れを抱くということは、何も手にしていないことよりも不安だ。
トニー滝谷が、父が昔と同じに演奏するジャズが、かつてと違って聴こえたという場面。これは父も時代の流れなどで少しは変わっただろうが、彼女と出会い変化したトニーの価値観がそう聴こえさせたのだと思う。知らず知らずのうちに享受していた孤独を意識してしまった後、またそうなってしまうのではないか、と言う恐怖感を覚える。トニー滝谷の妻となった英子の買い物癖も、どんなに愛されていて、平穏な生活を送っていても埋められない自身の何かで、否応無しに突き動かされる心の隙間だったのだろう。その心の隙間を埋めるために彼女は必死になって服を集めた。そうすることでしか彼女は虚無感から逃げ出せなかったのだ。
バイトに応募し、英子の洋服に袖を通しながら涙が自然とこみ上がる久子。彼女の着ていた服は、ただの品物ではなく、人の所有物となったモノの意味の重さを感じてしまう。トニー滝谷は久子が泣いた理由がわからないといっている。虚無感と孤独感の絶頂にいた彼だったから他人の気持ちがわからなかったのだと解釈する。もし、妻が生きていて幸せだったあの頃のトニー滝谷であればきっと彼女の涙の理由もわかったのではないだろうか。
最後に作中の妻の死は、人はいつ孤独になるかわからないというメッセージだったと考える。彼は妻と出会い自分は孤独だったことを感じ始めた。そして結婚し、孤独という牢獄から抜け出すことができた。ところが、ある日突然起きた妻の死によりトニー滝谷は本当の孤独に出会うことになる。人は孤独であるということをまず認識しなければならない。そして孤独を恐れてはならない。人は孤独からは逃げられない。孤独を恐れ、孤独の牢獄に閉じこもっていては大切なものにも出会えない。人との出会いや関わりは価値観や人格まで変えてしまう力をもつ素晴らしいものだと思う。トニー滝谷は妻と出会い、自分が孤独だったと気づくことができたことが、彼の人生で一番の収穫だったのではないだろうか。




