香港にはお客さんが居るが、大陸には支店があったが、お客さんが居ない


なのに上海は、何度か行っている


一回は、当時中国最大のだった上海宝鋼集団の工場を見学させてもらった


日本もそうだが、製鉄所は広大な敷地があり、中には宿泊地や、学校(従業員の子供が通うため)などもあり、まるで一つの街が出来上がっていた


この工場建設にあたり、新日鉄(現日本製鉄)が技術指導をしたらしい


もう1つも、当時中国最大だった安徽海螺水泥(セメントメーカー)の工場を見学させてもらった


ここだけの話、三菱が開発した予熱機付きのセメント生産設備をパクったものらしい😅


ちなみに、安徽省に行く際、初めて中国の新幹線に乗って行った


全座席、グリーン席並みのシートで、乗り心地は、そんなに変わらなかった…日本のツバサの技術をパクっただけの事はあるꉂ🤣w‪𐤔


違うのは、飛行機並みにX線チェックを受けて乗車するために、並ぶことꉂ🤣w‪𐤔


帰りは新幹線では無くクルマをチャーターして、高速で帰った


何故かって?並ぶから?


それは、時間通り運行されないから、上海着の時間が読めないからだꉂ🤣w‪𐤔


当時の高速は、まだまだクルマの数が少なく、三車線もあっが、スカスカなので、飛ばし放題飛ばして走った


途中、日本では見かけない風景が…外側の車線には、お店らしき?屋台らしき?ものが並んでいた


聞けば、周辺の住民が勝手に高速に店を出して商売しているとの事だった💦


話は変わって、上海市街の交通網も当時はまだ整っておらず、上海市内行きがあるものの、環状線が無いため、横に逃げられず、橋を渡るのに二時間もかかった💦


だから、当時はナンバープレートで市内に入るクルマを規制していたので、上海ナンバーは、かなり高値で売買されていた


そう言えば、初めて上海に行った時、空港から乗るタクシーは、確か緑色にしろと言われていた


上場している会社だから、ぼったくられる事がないからと言われた


実際、ぼったくられ無かったが、高速で、後ろからクルマがぶつかった(関西ではオカマをほられたと言う)


ドライバーは、大丈夫ともきかず、高速でクルマを停め、自分のクルマがどうなったか見て、相手のドライバーに怒鳴っていた(中国語なので意味が分からない💦)


ドライバーは、戻って運転を始めたが、私を気遣う事は、無かった💦


ちなみに、その当時の中国は自動車優先なので、信号の無い道を、横断するのは、自己責任だった


その後、クルマが増えた事もあり、人優先になったが、直ぐには浸透して無かったꉂ🤣w‪𐤔…日本もシートベルトなかなか、浸透しなかったもんね


ちなみに上海の定宿は、花園飯店


実は、この花園飯店の床屋で、散髪したが、海外での散髪は、この一回きりだꉂ🤣w‪𐤔


次は香港の話でも書こうかと、思ったが、コンプライアンス違反になる(謎)のでパス💦


夏の香港は、湿気が凄く、不快指数が高かった事だけは、書いておこうꉂ🤣w‪𐤔