通学路を歩くのは卒業以来じゃないだろか?
車では通ることはあっても歩くことはなかったよな・・・。

田んぼや畑だったところに家が建って
ずいぶん様変わりしちゃって~っと思ってたのに、
久々に歩く通学路の家並みはまったく無くなってしまったてた・・・。

先ず海岸のすぐ近くの中学校へ行った。

松林の真ん中に建ってるはずの学校が
平原の中にぽつんと・・・。
松林も家並みも無くなって、
中学と簡保の宿!?だけが廃虚とかして残ってた。
校庭の足場も悪かったけど、校舎の中にも入ってみた。
ドアもガラスも壊れてる為簡単に入れた。
思い出がいっぱい詰まった校舎が・・・。
虚しかった。

中学は電車通だったので
学校から駅まで歩いてみる。
もちろん、駅までの道にも何も建ってない・・・。
よく買い食いをした店も・・・無くなってる。
駅前の運河に掛かってる橋の欄干もへし折れたまま・・・。
線路も流され、かろうじて駅舎だけが残ってる。
ここは今は不通区間。

ここで従姉2号から電話があり、
ひとりで地元・通学路を歩いてると伝えたら
ここに来るとのこと、一緒に見て回りたいという・・・。
従姉2号にとっても地元であり通学路だったところ
従姉2号宅からだと車で3,40分かかるから
その間運河沿いから小学校を目指す。

駅から小学校までは友達のうちがたくさん有ったはずなのに
1軒たりとも確認できなかった。
友達の家族はみんな避難できたんだろか?
家並みで見えなかったはずの小学校も
周りに何もなくなったから
遠くからでもすぐそばに見える。

あの惨事のあった体育館、
そして校舎も今は学校としては使われてない。
校庭には
仮設の消防署・警察署・郵便局等
公共の施設が所狭しと並んでた。

ボランティアさんの拠点にもなってるらしく
ベスト姿もチラホラ見えた。
ただ見て回ってるだけ~・・・がちょっと申し訳なく
会釈するだけで精一杯だった。
こちらもやっと地元をゆっくり見て回れる様になったので~

と、心のなかで言い訳をしながら・・・。
あはっ
でも我が母校学校はしかりと目に焼き付けてきた。

今は小学校も中学も場所を移して
てんでんばらばらになってしまった子供たちは
スクールバスで通学してるらしい。

小学校から今は不通になってる線路の踏切に向かう、
ここは、くの字に曲がった電車が流された辺りだ。
まさかここまで津波が来るとは誰も思わないよな~・・・、
もっと奥にある避難所指定のなってた小学校までとも
誰も予想しなかったと思う。
どれもこれも予想外・想定外のことだったのだ。

またまた運河沿いに出て、実家のあった方に向かってに歩く。
(従姉2号に運河沿いで拾ってもらう約束なので・・・)

運河沿いの家並みもかなり撤去され閑散としてたが、
数件残ってる模様。
庭先の畑を手入れしてるおばさんに話しかけたら、
偶然にも伯母のこと知ってる人で、
被害の大きかった1階を直して住んでるらしい。
話が弾んでしまい、初対面なのに中でお茶でも、と誘われてしまったけど、
従姉2号と運河沿いで待ち合わせてたので、
そのまま立ち話をさせてもらった。
こうやって地元に残って頑張っている人たちも居るんだ。
ここは大田区はじめボランティアさんの支援も有るらしく感謝されてた。

運河より南側(実家があったところ)は居住禁止区域になってしまったけど、
北側はいいらしく、数件残って住んでるみたいだ。
自力で頑張ってるこの人達こそ忘れないで支援を続けて欲しいものだ。

そのおばさんに別れをつげ歩きはじめたら
丁度良く従姉2号の車が・・・。

従姉2号も何回となく来てるがゆっくり見て回ることがなかったそうで、
今まで行けなかったところまで一緒に行ってみることに。
9月に来た時大潮と台風で冠水してて行けなかったところも
道路が土盛してあり、岸壁ギリギリまで行く事が出来た。
今まで行けなかったところまで行けて、見れば見るほど、
今更ながらに被害の大きさにびっくりさせられた。
でも、どうしてもしっかり見ておきたかった。

午後から予定があったので、
半日だけでは回りきれなかったけど、
またゆっくりと歩きまわってみたいと思う。