きまぐれの国道1号徒歩の旅 -27ページ目

国道1号上りは、旧東海道が合流したところで

土山町南土山を一旦抜け、土山町北土山に入りました。

 

旧東海道は、まもなく差し掛かる

南土山交差点までの短い間、同じルートをたどります。

 

 

合流地点から50mほど進んだところで、

左から細い道が交差します。

 

 

 

何も無ければごらんの通り、

あっさりスルーしそうな普通の道ですが

その入口には柵に囲まれていかにも重要そうな道標が。

 

 

どうやら「高埜世継観音道」と記されているようです。

 

 

 

予備知識が無いためよく分からないので脇の案内板を見ると、

「道標 御代参街道起点」と記されています。

 

 

「御代参街道(ごだいさんかいどう)」とは、江戸時代

近江国に整備された主要な街道のひとつで、

土山宿~中山道小幡(現在の東近江市)間の

約36kmを結びます。

 

 

 

置かれている道標は2つ。

 

「高埜世継観音道」と書いて

「たかのよつぎ かんおんみち」と読むようですね。

 

さらに右には「右 北国たが街道 ひの八まんみち」とあり、

北国への最短経路として利用されていた道のようです。

 

 

古くから重要な間道だったそうですが、

江戸初期に春日局(かすがのつぼね)が伊勢神宮から

多賀大社へと参詣する際、拡張整備されたようです。

 

昔はここが大きな分岐点となっていたようですね。

 

 

 

さて、御代参街道の起点を通過し、

続いてまもなく見えてきたのは、南土山交差点です。

 

 

ひとつ前の信号交差点からは、およそ900m東にあります。

 

水口バイパスを抜けてからは、

1kmに1か所ぐらいの間隔で信号が設けられていますが、

滋賀県内で見かける信号も残り少なくなってきました。

 

 

 

ここで右斜め前方、南東方向に見える道は、

今しがた合流したばかりの旧東海道です。

 

 

旧東海道とはここで再び分かれ、

同道は国道1号の南側へと回ることになります。

 

 

 

歩行者用信号は押ボタン式で、

横断歩道は交差点の東西2か所に

国道1号上下間を渡れるよう設けられています。

 

 

なお、旧東海道側は交通量が少ないため

車道に対しては感応式信号機が使用されています。

 

 

 

土山宿は、東海道五十三次の49番目、

水口宿のひとつ手前にある宿場町であり、

玄関口となるこの場所にはその詳細が記されています。

 

 

古くから伊勢への参詣ルートとして

通行が盛んだったこともあって、京~江戸間における

この地域の難所「鈴鹿峠」を控え、土山宿は江戸時代に

その手前の最後に通る宿駅として栄えました。

 

 

 

「万人講(まんにんこう)」と刻まれた灯籠を見かけました。

 

 

「講」は、同じ志をもった者の集まり、有志のことで、

「万人講」とは、仏閣・寺社の建立・修繕に当たるため、

多くの方の寄進を集めたものです。

 

はるばる土山宿を訪れた人々の旅の安全を祈願するべく、

道中にはこのような「常夜燈」が置かれています。

 

 

 

南東へ抜ける旧東海道には、

先ほど北西から交差した時と同様、土山宿を知らせる

「歴史の道 東海道」の看板が掲げられています。

 

 

再び国道1号の南側に回った旧東海道とは、のちほど

この土山町北土山地区の最東部にある田村神社前で

再び交差することになります。

 

 

 

つづく