2024年3月のダイヤ改正で北陸新幹線が敦賀へ延伸するとともに,北陸本線の並行区間が三セク化され,サンダーバードは敦賀止まりになった。

このブログは,そんな改正までまだ約半年という時の話である。

計画

北陸本線の写真や動画はネットで多々見かけてきたが,縁が無く金沢や福井へ行ったことはなかった。サンダーバードは京都→大阪での利用はしたことはあったが,金沢からの全区間乗車はしたことがなかった。やはり無くなる前に乗りたいという気持ちがあったが,金沢まで行ってサンダーバードで帰るだけとなるとそんなに面白くないし,旅費もまあまあかかってしまう。

しかし,自分にはもう一つ行きたいと思うところがあった。名古屋である。名鉄名古屋を見学したい,そして稲沢機関区にいる解体待ちのEF64も見てみたいということで,2箇所を1日で周るような行程を組んだ。

JR切符は最寄り駅のみどりの窓口で,近鉄特急の切符は神戸三宮駅で購入した。ひだ号は進行右側を,サンダーバードはコンセント付きの座席を注文。

2023年11月19日日曜日の予定だが,次の日は学校が休みとあって何も気にする事はない。

出発

大阪難波へは尼崎で乗換。

大阪難波に着いた。名古屋まではJRを使わず,近鉄の特急ひのとりで行くことになっている。

入線してきた。かっこいい!

車内はこんな感じ。地下区間だからか,なんだか神々しい。

近鉄特急でも喫煙が最近できなくなったようだが,この時は地上区間ではできた。車窓動画にはその放送が入っている。

座席は快適な座り心地で,お得感さえある。難波を出るとすぐ大阪上本町,そして鶴橋に停車。ここまでは乗車専用のような状態だろう。鶴橋からは大阪線に入って大和八木へ向かう。途中A更新車が退避しているのを発見した。

スピード的には先行電車に追いついているのか,そこまで速いわけではない。

そして恒例行事。顔に見えるハングル。

名古屋までの旅程はこんなもんで。

ついに到着。ワクワクが止まらない。

見慣れない転換クロスシートだ。

名古屋線の古い形式の電車だろう。

名鉄連絡改札があり,向こうに名鉄電車が見えてはいるのだが,近鉄の駅を出場して名鉄の入場券を買う必要があるため,ここは使わない。とりあえず近鉄はこんなもんにして,名鉄の名古屋駅に入ろう。

夕方に新聞を運ぶらしい滑り台(左)と,上下の電車が撮影できそうなスポット(右)。

さっそく上下線ともに電車がいる。

そして右側に停車していた電車が完全に去る前に,左側には新たに電車が到着。凄い本数だ。

ボケていて見にくいが,ミスタードーナツのラッピングをした電車が来た。

これは乗車位置に並ばないと気づかないだろうが,停車駅が書かれている装置や,乗車位置を光で示す装置もあった。これがあっても名鉄名古屋を攻略するのは難しい気がする。

名鉄の駅だが近鉄特急の広告を見つけた。まあライバル会社なわけではないし,別におかしな話ではないか。

これは混結編成だな。

階段からのハイアングル。

名鉄名古屋では本数の多さのあまり自動放送が導入できないという。そのため駅員が放送を入れているわけだが,それはここDJブースで行われているらしい。

色々な電車が発着するからだろうか,停車位置も複数あり,光っている。左の写真は特急の号車札にあたるものだろうか?7セグメントの装置まであるとは。

下の写真は,上の写真の20秒後の物である。いかに間隔が詰まっているかがお分かりいただけるだろう。そして下の写真の電車が見えなくなった25秒後,今度は回送電車が通過してきたのだ。

2分間隔で特急が出て,その次に通過電車もある,というのを発車標は示していた。

まだ電車が見えなくなっていないのに,後ろにはもう次の電車が迫っているという光景もあった。

正体はこれだ。随分と古そう。

電車の間隔が開き,そろそろ去り際かというところでミスタードーナツのラッピング電車がまた来た。

なおこの記事では言及していないが,撮った動画のどれかに放送の訂正(失礼しました)と2分の遅れの放送が入っているはずだが,見つからなかったのでパスした。

いい加減に名鉄の駅を出場し,次は地下鉄のほうへ向かうために地上へ出てきた。

JRへの乗り換えの案内が床にテープを貼ったもので示されている。そしてレトロなフォントで名鉄・近鉄の入り口を示している。なおこの左に地下鉄の入り口がある。

名古屋駅を出てすぐのところには,スマホを縦にして撮らないと映りきらないような高いビルが。そしてレゴブロックで作られたような案内図。

東山線で名古屋から栄へ行き,下の階にある名城線乗り場へ。ここで名城線の動画を撮るというミッションをクリア。

こちらが栄駅を出たところの様子だ。人はほとんどおらず,静かだった。

そしてまた東山線で名古屋へ戻ってきた。

これは何だろう?まだ1か月以上あるが,恐らくクリスマスツリーのようなものだろう。

明け放されたホームドアから見える315系と,金沢行きのしらさぎ。

普通電車に乗って,名古屋の隣の枇杷島へ移動。

枇杷島から何か路線が伸びているとは知らなかった。城北線というらしく,車両はキハ11のよう。程なくして発車していった。

HC85系の特急ひだ。これと同じ編成が折り返し富山行きとなり,乗車することになる。

枇杷島は撮影地になるようだが,一眼でなくスマホの場合は編成写真には不向きである。とはいえスマホでもこのような映りにはできるということは伝えておく。

新幹線も見える。

ホーム先端で撮影。

定期回送らしい。

再入場。新幹線(2度目)。

特急の発車時刻まで25分ほどとなり,名古屋へ戻る。ここからJRを利用した旅が始まるのだ。

途中で新幹線と並走した。

キハ75がいた。

売店でコーラだけ買って戻ってくると,丁度ひだ号が入線しているところだった。富山まで乗車するが,後ろの編成は高山止まりのため行先は高山と富山が混在していることになる。

ひどい幕切れだが,富山行きはこんな感じである。なお乗車するのは10号車の指定席。8両編成なのだが。

枇杷島では一度も貨物列車に遭遇しなかったが,名古屋へ戻る時に1回,そして特急の発車待ちでもう1回遭遇。なおこの列車は稲沢のあたりに停車した。

ビデオカメラを岐阜から進行右側になる窓側にセット。デッキへ移動しそこから稲沢機関区の車窓を撮る。

早速見つけた牛乳パック。

車掌車の珍ドコ編成。

未だに動いているところを撮れていないタキ。

DF200とEF64の並び,奥にはEF210。

3両連なっているEF64。

2両連なっている牛乳パックのEF64。

稲沢を通過した辺りで牛乳パックが複数連なっているのを確認。これが解体待ちのやつか?

線路が減ってきたところで席に戻った。なおひだ号は岐阜で進行方向が変わるが,座席を転換する必要はなく,名古屋~岐阜間は逆向きで移動することになる。

岐阜を出るといよいよ高山本線に入り,一路富山を目指す。

車窓には時折きれいな景色が広がる。なお車内は右の写真のようになっている。

高山からは4両編成で走る。ここはひんやりと涼しかった。

そして雪が見えるようになってきた。移動時間はかなり長かったが,ここまで遅延ゼロで富山に到着。

まずは金沢行きの普通電車を撮影。車両は521系だがJRの所属ではない。

そして泊行きの電車も見送った。

富山駅の在来線ホームはあいの風とやま鉄道の他に三セク化されていない高山本線があるため,このように第三セクターの電車が撮れるのである。いずれ移管されるようで,JRの乗車券では撮影できなくなる光景かもしれない。

なお途中下車印を貰う際に特急券の提示を求められた。まあそれも持ち帰ってきたが。そして在来線の改札は一部自動改札機の無い有人のタイプだった。特急券を同じ手に持っていたため新幹線改札へ誘導された。

そして新幹線乗り場へ。E7系が来た。そのためメロディーは北陸ロマンではないほうのやつだった。在来線で富山~金沢間を乗車した事がないので新幹線によってどの程度の時短効果があったのかはよく分からなかったが,便利なことに変わりはない。

【終点】の金沢に到着。駅名標には「こまつ」の文字が。

11・12番乗り場の方面表示が隠されている。

北陸線・七尾線の乗換案内も隠されている。

新幹線が敦賀に延伸されれば金沢駅から北陸線は無くなるため,そこは現在見られなくなっていると思われる。

JRマーク付きの金沢の駅名標と大阪行きのサンダーバード。在来線最速とか言われているらしい。

特急街道としか言いようのない発車標。大阪へも名古屋へも1本で行ける。

明るさを下げて「金沢」と「大阪」を映す試み。

そしてサンダーバード40号大阪行きは金沢を発車。車窓はほとんど暗くて何も見えなかったが,しばらく走って福井に到着。4両の普通電車も1両の気動車も余裕で収まる長さのホームだ。これも役割を失うのか。

そして福井の次は京都。1時間以上快走し続ける。京都から先は本格的に関西圏だ。そして大阪に到着。金沢から大阪へはあっという間に着いたような気もするし,随分長くかかったような気もする。

大阪に到着したからと言って,旅は終わったわけではない。この日はウェストエクスプレス銀河の運転日なのだ。早速地下ホームへ移動。

だいぶ前照灯が眩しくて姿をうまく捉えられていないが,とりあえず撮れたので良しとする。多くの人が撮影しているかと思えば,自分の他に1人しか撮っている人はいなかった。

富山・金沢・大阪の途中下車印がついた乗車券。見下ろすホームをバックに撮ってみた。

北陸新幹線延伸開業の旨がここでも案内されている。

あとは普通電車で最寄りまで行き,無事帰宅する事ができた。いつかの岡山遠征とは違って実質的に遅延は何一つ発生しなかったことになる。