7月31日

 

今日で7月も終わりですねぇ。

 

ようやく,記録的に長かった梅雨も明けそうですから,来週早々にはGSX-S1000の車検も終わりそうです。

 

 

 

さて,先日篠塚健次郎氏のパリダカ関連記事を書きましたが,その時に載せた懐かしい写真といっしょに,他にも何枚か出てきたのでお披露目しましょうかね。

 

 

 

 

 

 

写真(記事)の年代は順不同です。

 

 

まずはその1として,かなり記憶に残っている(インパクトがあった)1980年(昭和55年)に富士登山をした時の記事からいきます。

 

富士山は紀元前301年の庚申(かのえさる)の年に姿を現したとされ,富士山の誕生年とする伝説があり,60年に一度の庚申の年を「御縁年」と呼んで祝っているんだそうな。

 

我々が登った1980年(昭和55年)は,富士山が生まれたとされる庚申(かのえさる)の年だったんですよ。

 

なので,この「御縁年」に登山をすると1回が33回に相当するほどのご利益があるとされ,女人禁制も緩和されたりするということで,職場の山好きがメンバーを募って富士登山を企画したんですわ。

 

っで,私とBVK(弟)もその企画に乗っかって参加したというわけです。

 

8月6日に富士山五合目に到着し,その日の夕方(というより夜半の9時過ぎですが)山頂目指して上り始めます。

 

その時の画像が,こちら。

 

 

 

 

顔が若干赤っぽくなっているのは,多分夕飯と一緒にビールを飲んだせいだと思う。(苦笑

 

向かって左から,私,石橋女史,BVK,史ちゃん(石橋女史の同級生),寺内先輩,糸久さん。

 

 

 

富士山には8合目に数軒の山小屋があるんですが,我々は当時まだ若くて元気いっぱいだったので,山小屋前で写真を撮り,泊まらずに一気に山頂まで登ったんですよね。

 

 

 

 

 

山頂で御来光を拝みながら乾杯しようと,寺内先輩が高級ブランデー(ナポレオンだったと思う)を持ってきたので,私が背中のリュックに入れて登ったんですわ。

 

山頂に到着して御来光を拝んだんですが,皆で乾杯するはずのブランデーは,ほとんどの人がバテバテで飲めず,比較的元気だった私とスキー仲間だった酒豪の石橋女史の二人だけで飲んだような記憶がある。(大笑い

 

ことによると,BVKも飲んだかも?

 

 

 

 

 

富士山の山頂部分を一周することをお鉢巡り(おはちめぐり)というんですが,歩行距離は3kmくらいあるので平均的な脚力で1時間半ぐらい掛かります。

 

これもバテバテだった数人はパスしましたが,私はもちろん一周しましたよ。(笑い

 

 

 

 

 

 

山頂には残雪がありますねぇ。

 

左の山頂に見える白い建物は,富士山特別地域気象観測所(富士山測候所)ですね。

 

 

 

さて,直前に行けなくなったメンバーから差し入れのブドウだったか桃だったかを食って元気を回復したら,後は須走を文字通り走るように下っていく(火山砂利の下山道を一直線に下る「砂走り」と呼ばれる)んですがまさか一週間後に,下記の新聞記事に載るような惨事が起こるとは誰も知りませんでした。

 

まぁ,我々は無事に五合目まで到着し,それぞれ元気で自宅に帰ったんですけどね。

 

 

 

ネット記事により,振り返ると,

 

富士山吉田大沢で大規模落石(1980年)

 

1980年(昭和55年)8月14日13時40分頃,富士山山頂部の吉田大沢最上部付近の崖が崩壊し,最大で大きさ1~2mの岩石50~60個が吉田大沢の5合目付近まで落下して,登山客に直撃した。

 

吉田大沢内は富士山の登山道のうち,山頂からの下山路のルートとなっており,事故当時はお盆休み中で多くの登山客が通行中だった。

 

この事故で,12人が死亡,31人が負傷した。

 

なお,現在の下山路は吉田大沢を迂回するルートとなっている。

 

ということだったんですよ。

 

 

 

ほんの一週間ずれていたら,我々が巻き込まれていたかもしれないんですわ。

 

今考えても,いささか肝が冷えますねぇ。