日本に起きた「戦争のない核戦争」 | 上関原発阻止 もう時限原子爆弾はいらない。

上関原発阻止 もう時限原子爆弾はいらない。

プルトニウムの毒性影響を高さで例えます。
建物3階くらいとか。理解できますね。
プルトニウム100万年毒性が消えず高さは火星くらいもあって。
古くなると「人類の手に負えない原子時限爆弾」になる・・・。
母なる地球に原発必要ありません。

福島原発事故の人類滅亡危機は「戦争のない核戦争」です。


(冷温停止状態)などと、のたまう政府は、

まるっきり。大本営そのものですね。

こんな事をわたしたち国民は付託したのではありませんよ。

フザケルのもいい加減にしろ!!。大馬鹿が!!。




1941年12月から日本はアメリカと戦争をしました。

日本の戦争を計画した中枢は、
どのような神算鬼謀をもって、戦争に望んだのか?。

私には理解できないのです。

当時、大本営は大嘘の連続を重ね、
日本国民を塗炭の苦しみに追い込み。

家族を崩壊させ、殺戮し傷つけました。

私は戦争後に直ぐ生まれた世代ですが。

小中学校で、戦争に駆り出された先生が、

授業の余談に、自分の戦争体験を話してくださいました。

敵の飛行機を一機、撃墜すると、
50機撃墜などと、放送してたそうです。

新聞を見ると、その勇ましいこと、いさましいこと。

大嘘の連続だった。。そうです。

この政府・執行部、東電、マスゴミ、NHKは、
後世の歴史家から、最大の賛辞をうけるでしょう。

地球生物絶滅に、加担し実施した最極悪人として。





授業の余談に、自分の戦争体験を話してくださいました。

敵の飛行機を一機、撃墜すると、
50機撃墜などと、放送してたそうです。

新聞を見ると、その勇ましいこと、いさましいこと。

大嘘の連続だった。。そうです。

小学校5年の時の先生は笹本先生。
父と同じ世代でした。

偵察機の通信を受け持っていられました。

操縦士の技術が下手だと、
何度も着陸をやり直しするそうです。

身振り手振りで、戦争の話を聞きました。

とても、熱血漢だったのか。
女児でも、拳骨くらっていましたし。

手の平を広げさせて、そこに鞭が降りてきました。

宿題していない生徒へのペナルテイです。

校内廊下を走ると、足の裏を鞭で叩かれました。

痛くていたくて、かかとをあげて歩く訳です。勿論、涙目です。

先生のような時代でなく。

憲法9条で戦争をしない国に生まれた私は、
戦争に駆り出されない国になっていた、
良い時期を願って生まれさせていただいたものだと。

いつも感謝していました。

・・・

笹本先生も宇宙に帰られたのだしょうか?

中学時代に、一緒に笹本先生宅に訪問した友達の福井君。

転々とした波乱万丈人生の私なので、
小学校の時の誰とも音信ありません。

もし、これを見られましたら連絡まっています。

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http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1232.html

カタストロフィー回避のためにアメリカの議員が動き出した。





私的には、もっと早くアメリカ議員が動くと思っていました。

放射能の知識蓄積に時間が必要だったのかも知れません。

私など、映画で原爆の子とか図書館に原爆の本とか。
御祖母さんから、広島で、白い布の後ろに居たものは助かって、
そうでない者は、黒焦げで死んだんよとか。

核反応でのプルトニウムの話。
課外なのですけど、
図工の先生のアインシュタインの話とか聞いてて

政府の菅元首相より、被爆の恐怖を知っていたかも知れません。

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☆ 本当に日本は
☆ 「戦争のない核戦争」の最ただなかにいるのです。

そして、国民は棄民政策でまたもや、

甚大な被害を蒙り・・・。

殺戮され根絶やしに、されつつなのですから・・・。

気づいて行動の方は少ないようです。

すこし、考えれば理解できる事なのですけど。

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私は8才ころは下水道に入って、
錆びた釘を拾っていました。

それを集めて、廃品回収業者に売りました。

今でもアルミ缶を集めてしまいます。

私が就職した職場の16歳頃の知識で、
アルミ屑は1トン80万円を超える
金額であることを知っていました。

電気の塊、アルミはとても高価なので、
むやみに捨てるのが勿体なくて、今でも溜め込んでしまいます。

小さな私は廃品回収のお金を預金しました。

中学校の昼の休憩時間に、
外出許可書を担任の先生にもらって
郵便局に預金に行っていました。

先生が外出して何をするんだ?。質問されました。

私は郵便局に預金にいきますと言いました。

いくら預金にゆくんだ!?。

私は30円・・・。

先生は、お前は偉いなぁ。と。
マジマジとわたしを見ながらシンミリと言っていました。

私は小さいころから、蓄財意識がありました。




暖かい国の原住民はほとんど、
お金を預金の意識がないのです。

日本人は、春夏秋を働いて厳しい冬を越える。

過酷な環境が人の遺伝子を鍛えたと言えます。

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進化の課程で、一番大切なのは、適応力です。

これは、現代風にいえば、職場が変ってもかえられても、
適応能力があるか。ないかです。

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彗星がユカタン半島に衝突。

恐竜には、環境激変適応ができなかった為、
滅亡したとされています。

哺乳類は天候激変に対応できて、現在の姿に進化しています。

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今、日本発、死の灰にて地球人類滅亡はスタ-トしています。

例えば、大洪水時代。

ノアの箱舟のように、工夫して生き残る人もいるのです。

天は自ら助けるものを助ける。




これは、永遠にかわることのない。宇宙の約束事です。




私は、懸命に放射能消失ゾ-ンをつくりに頑張っています。

私は子供がいませんので、
生殖細胞生産器官( 睾丸 )の被爆を避ける為。

すぐに海外退避をしました。

無事に、次の世代に遺伝子のリレ-ができるかどうかが
今後の最大課題です。


☆ 「戦争のない核戦争」を経験するなんて、
   夢にも思わなかった展開です。

☆ 人生に起こることは、すべて必然!!。

宇宙に最優先コンタクトをとって
     生き抜き残りたいと思っています。