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CHANCE MEETING――テレクラ放浪記 第37回 卒業写真

お待たせしました。お待たせ過ぎたかもしれません――という毎度のご挨拶、更新が遅れ、申し訳ない。少し落ち着いたので、あと数回となった連載を怒涛の勢いで、締めくくっていきたい。書き飛ばし注意報発令中。それにしても今回の枕詞が花粉とは、時期がずれ過ぎである。いくらマスク着用が必須となっても花粉は容赦してくれない。今年もむずい日々が続いた。漸く花粉とはおさらば。ついでにコロナともおさらばしたいもの。古の花粉と卒業式の季節のこと。そして卒業試験は“カメラ=セックス”の公式を解くことだった。

 

 

■CHANCE MEETING――テレクラ放浪記

第37回 卒業写真

 

漸く、収まりつつあるが、一か月ほど前はぐじゅぐじゅだった。「行く春や 鳥啼き、魚の目は泪」ではないが、忌まわしい花粉の猛威にやられる。そんな私の春だが、やはり、春と言えば、卒業、入学など、新たな世界に一歩踏み出す時節である。

 

そんな季節の中で、卒業絡みの艶っぽい経験を思い出す。卒業制作ではないが、我ながらよく出来た作品だったと思う。

 

どんな作品かは後程、明かさせていただくが、テレクラのボックスにいる時、私はいくつもの顔を持つ。千変万化、自由自在、いろんなものに変身する。

 

もっとも変身するといっても限度がある。モデルや俳優など、あまり現実味のないものはすぐにばれてしまう。仕事で多少なりとも関わりがある職業が嘘にもリアリティーが増すというもの。知り合いをイメージするというところだろうか。当時は服装もラフなこともあり、会社員や公務員ではなく、コピーライターやデザイナー、カメラマンなどと偽っていた。

 

その中で、比較的、引きが強かったのがカメラマンである。グラビアなどだと、すぐばれるので、カタログなどの商品撮影をしていると言っていた。知り合いも多く、彼らから聞いていた話をすれば、そこそこの現実味を帯びさせることも可能だ。

 

いつだっただろうか、1994年3月のこと。20年以上前だが、丁度、桜が咲く前、出会いと別れの季節だったと思う。

 

 

平日の昼間、仕事をさぼり(笑)、池袋のテレクラで網を張っていた。その日は最初から当たりを引く。果たせるかな、今まさにファッション系の専門学校を卒業したばかり、卒業後は服飾系の会社への就職が決まっているらしいが、これから遊びに行きたいという20歳の女性と繋がった。彼女は、私がカメラマンであることに興味を示し、話の流れで、卒業記念の写真を撮ってあげようといったら、前乗りになり、アポを取ることが出来たのだ。

 

 

池袋からJRで渋谷駅へ。待ち合わせは五島プラネタリウムがあった東急文化会館。いまは、ヒカリエとなっているところだ。渋谷のハチ公は人が多く、待ち合わせには不向き、敢えて逆側にした。同時に宮益坂周辺にもラブホテルが点在し、道玄坂より坂を少し上るだけで、目的の場所に辿り着ける。動線は確保しておくにこしたことはない(笑)。

 

 

待ち合わせ場所に現れたのは長身で、モデル体型、ショートカットのボーイシュな女性である。黒のジーンズに黒のカットソーながら、どこかモード系。服飾系だけのことはある。

 

カメラマンといいつつもいかにもというカメラバッグも持たない、私を訝しがることなく、すんなりと了解をもらい、宮益坂をホテルへ急ぐ。世間話くらいだが、先ほど、卒業式を終え、学友とはつるまず、いきなりテレクラへ電話。入社までは暇だからいろいろ遊べる相手を探していたようだ。

 

 

いまは渋谷の宮益坂周辺も様変わりをしたが、宮益坂を上り、青山通りに出る前、246号線の手前の脇を入ると、ラブホテルが点在していた。どこに入ったかは覚えていないが、昼利用のサービスタイムだったと思う。9時までは存分に楽しめるというもの。

 

実は、カメラマンといったものの、カメラさえ持って来ていなかった。持っていても一眼レフのちゃんとしたものではなく、コンパクトカメラでしかない。ポラロイドカメラもない。携帯(カメラ機能がつくのは98年から、写メールなんていう言葉も流行る)やスマートフォンの時代ではなく、勿論、デジタルカメラも一般化していなかった。

 

そんなわけで、一番お手軽な使い捨ての、一時は差別用語で呼称されたコンパクトカメラ(レンズ付きフィルム)をコンビニエンスストアで買い求めておいたのだ。

 

ホテルに入り、流石、カメラマンといった手前、コンパクトカメラを出すのは躊躇われたが、たまたま、仕事が休みでカメラを持って来てなかったから、慌てて、コンパクトカメラを買ったと、苦しい言い訳をする。ところが、彼女は意に介することなく、どんな感じで撮ろうかと、話し出す。

 

私もカメラマン気取りで、まずはバスルームに入ってもらい、お湯を出し、そのスチームを利用して、ソフトフォーカスな、ぼんやりとしたものにしたい、といかにもなスタイルを提案。

 

彼女も乗ったらしく、なんの戸惑いもなく、服を脱ぎ、下着を取る。裸になると、贅肉のない、しまった身体をしている。アスリート(当時らしい言葉でいえば、体育会系か)のようだ。

 

私は服を脱がず、そのままバスルームに入り、お湯を出し、水蒸気を充満させる。彼女にはバスルームに入って、扉のところで、ポージングしてもらい(多分、腕を上げ、頭の後ろに組み、腰を捻り、立ち姿のバリエーション)、私はリビングからドア枠の中にいる、ぼんやりとした、紗にかかったようなフレーミングにした。気分はノーマン・シーフやデビッド・ハミルトンである。

 

そんな注文をつけながら数枚を撮る。フィルムの枚数は限られている(24枚撮りくらいか)から、連写はできない。ポーズをつけながら、いーよ、とか、セクシーだよ、みたいな、いかにもカメラマンが言いそうな言葉を投げかける。

 

不思議なもので、撮る度に、顔が紅潮し、恍惚としてくる。いままで凛としたものから、アンニュイなものに変わる。当然の如く、その場では嫌らしいことは何もしていない。

 

そして、ベッドに移動し、続けてポーズをつける。官能的な肢体を取るわけだが、イメージはマリリン・モンローのシーツに包まるヌード写真である。

 

当時からハメ撮りという言葉は存在し、投稿雑誌などでもテレクラやストリートでナンパした女性を撮影し、投稿することもなんとなく一般化していた。写メやデジカメが普及する以前だが、素人が簡単に裸や性行為を撮る、撮らせる素地がその頃からできていたのかもしれない。

 

その時、私が“ハメ撮り”をしたかは記憶が定かではない。恋人とセックスしているようなシーンは撮影した。だが、局部の接写などはしていない。デジタルな時代ではない。ポラロイド以外はすぐに見れないし、現像なども当然、簡単にはできない。ヌード写真を現像できるプライベートラボがマニアの間で利用されていることを知っていたが、そこまでは頭が回っていなかった。それ以前に写真を撮りたいわけではない、撮影は会うための“口実”に過ぎないのだ。

 

その時は、まだ、カメラマン気取りを引きずっていたのか、あくまでも芸術的なヌード写真を撮ろうとしていたのだろう。私は仕事には徹する男である(笑)。

 

だからといって、何もしなかったかというと、そんなことはない。カメラマンとモデルという関係を超え、二人は結ばれたのである。というと、劇的なようだが、なんのことはない、我慢できなくなっただけのこと。

 

もっとも我慢できなくなったのは彼女の方である。カメラに撮られるという行為に欲情したらしく、押さえがきかなくなったようだ。投稿雑誌などで“ニャンニャン”するカップルが前戯として、カメラ撮影をしていることがあったが、レンズには不思議な力がある。レンズを男根に例える有名カメラマンもいたくらい。

 

セックスそのものも彼女の卒業を祝い、新たな門出に相応しい、新たな体験もしていただく。普段はあまり逝くことがないというが、この日に限れば、快感の無限連鎖、何度も深く逝ったようだ。これまでとは違う、初めての体験だった。と、軽く自慢してみる。過去の栄光か(笑)。

 

 

彼女には現像したら写真を送るということで、住所も聞いたはずだ。後日、現像した写真は見事に芸術の香りするヌード写真で、卒業を祝う、我ながらの傑作と自画自賛する仕上がり。実際に彼女に送ったか、送ってないかは忘れたが、当然、ネガは私が持ったまま、焼き増しはいくらでもできる。投稿雑誌に送れば、小銭も稼げたが、流石にそんなことをするほど、私は悪人ではない。それにしてもゆるい時代ではある。むしろ、おおらかな時代といっていいだろう。まだ、事件や事故とは無縁の“テレクラ性善説”みたいなものもあった。当然、リベンジポルノなどという言葉はなかったのだ。

 

それから数年後、カメラ付き携帯電話の普及が盗撮を含め、素人ポルノ写真が激増させるが、そんな技術以前に、既に女性の股が開かれていたのだろう。テレクラは時代に先駆け、その時代の風俗を確実に映し出す。

 

 

 

 

WITH LOVE

昨日、2月15日(月)、香取慎吾主演の連続ドラマ『アノニマス~警視庁“指殺人”対策室~』(テレビ東京系、月曜午後10時)を見ていたら、気になるキーワードが躍っていた。試しにツイッターで“アノニマス”、“田中美里”、“WITH LOVE”を打ち込んで検索すると、あのドラマが出てきた。皆(!?)、忘れてなかったみたいだ。

 

そのドラマとは竹野内豊と田中美里が主演したテレビドラマ『WITH LOVE』である。1998年4月から6月にかけてフジテレビ系列で毎週火曜21:00 - 21:54に放送されたテレビドラマ(平均視聴率18.1%、最高視聴率は最終回の23.6%。全12回)。主題歌はMY LITTLE LOVERの「DESTINY」だった。“WINDOWS95 ”以降、当時、普及しつつあったインターネットとメールをテーマにしている。誤送信から始まったメル友、ネット恋愛に偽のプロフィールやすれ違いなどを絡めた恋愛ドラマだった。いまは昔、まだ、性善説に基づく、のどかな時代の話で、竹野内と田中の魅力もあって、浪漫やときめきもあった。胸焦がした人も多いのではないだろうか。

 

『アノニマス~警視庁“指殺人”対策室~』そのものはネットでの誹謗中傷、犯罪、事件などを扱った今風のサスペンスドラマだが、今回は不倫やストーカーなどを題材にしていた。田中美里が不倫する契機になるマッチングアプリの名称が『WITH LOVE』だったのだ。多くの方がそれを覚えていたらしく、たくさんの呟きが溢れた。

 

ある種、純粋な出会いがあった時代(!?)への郷愁かもしれないが、ときめきの時代を思い出していたのではないだろうか。私自身もドラマを思い出し、ちょっと、キュンとしてしまった。いまはこのコロナ禍ゆえ、リアルな出会いを求めるのは難しい時代だが、いつか、きっと――と、胸に秘めてみる(笑)。

 

 

https://fod.fujitv.co.jp/s/genre/drama/ser4275/?waad=SS3bpPzi&ugad=SS3bpPzi&yclid=YSS.1000303921.EAIaIQobChMItY7y8sPs7gIVl66WCh3RqwtlEAAYASAAEgLeEvD_BwE

成増と愛すべき大人

先日、1月31日(日)放送のTBS系『情熱大陸』(日曜午後11:00)にとんねるずの石橋貴明が出演していた。フジテレビ系『みなさんのおかげでした』終了後の喪失感を明かすとともに現在のYouTuberとしての活躍ぶり(石橋が開設したYouTubeチャンネル、登録者は150万人を超える)を紹介していた。場所や表現は変わってもいくらでもやり直すことはできる。拘り、諦めなければ、いつだって、花は咲く。

 

同番組を見ていたら、「大人の学校」のゼミの講師や公開講座の司会などでお世話になった写真家、映像作家、水谷充のことを思い出していた。彼は昨2020年10月17日(土)に虚血性心不全のため、急逝した。享年60である。あまりにも突然でいまだに気持ちの整理はつかないが、時々、彼の言葉や笑顔が浮かぶ。2020年から2021年へ、もし彼がいたら、どんな言葉を吐き、どんな行いをするか、考えたりもする。

実は彼が写真家、映像作家としてスタートを切った契機は帝京高校の後輩だったとんねるずの1985年にリリースされたファースト・アルバム『成増』のジャケット撮影だった。

 

『貴ちゃんねるず』で同作を語ることがあれば、ひょっとしたら彼がゲストに出ていたかもしれない。『櫻井有吉アブナイ夜会』に橋本マナミの"恩人"として出演しているくらいだから、出たがりである。どんなことをいうのか、ちょっと想像をしてしまったのだ。

 

私生活はその性格ゆえ、寅さんの如く、周りからは感謝と迷惑が相半ば、被った方もいるだろう。しかし、愛すべき大人だった。いまだににやけた顔が忘れられない。これは知っている人しか、知らない(当たり前か)話だが、彼の"センパツの〇〇〇"発言は胸に残る。

 

改めて、彼の逝去を悔やむ。こんな世界だから、彼の笑顔は必要とされるのではないだろうか。変に美化はしないが、大きな喪失感を抱いている。あんな大人はそうはいない。