墨俣城(すのまたじょう)   1566年

現在の岐阜県大垣市墨俣町墨俣にあった戦国時代の日本の城である。

木下藤吉郎こと、のちの羽柴秀吉・豊臣秀吉が出世するきっかけになった「墨俣城」は、現在の長良川西岸にある洲股(墨俣)にあります。 

もともと、川の中洲に斎藤利為らが築いた洲股要害として機能したようですが、尾張から美濃へ侵攻する重要拠点であることから、度々合戦になっていたようです。 

1561年には、美濃斎藤勢の要害を織田信長は攻略し「洲俣要害」を改修して在陣したと見られます。 

良く知られる話では、織田信長の命で、最初に佐久間信盛が洲股砦城の建設に挑むも失敗。

柴田勝家も失敗し、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が「7日のうちに完成させます」と言上しました。

そして、美濃勢を伏兵奇計で撃退しながら、砦城の建造準備を行い、1562年6月中旬頃、雨で戦闘が中断している中、上流から流した材木を組み立てると、一夜にして墨俣城を完成させたと言う逸話です。