イエス・キリスト

(紀元前6年から紀元前4年頃 - 紀元後30年頃

ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」という意味である。

聖書はイエスが正確に何日にベツレヘムで生まれたか、又は正確に何年にお生まれになったかさえ、記していません。

イエスの誕生の聖書的詳細は福音書にあります。

マタイ2:1はイエスはヘロデ王の時代にお生まれになったと言っています。

ヘロデは紀元前4年に死んでいるので、そこから考えることができます。

ヘロデの死ぬ前に イエスは2歳ぐらいだったことを示しています。

それで、イエスの誕生は紀元前6-4年だったということになります。

もっと特定すると、イエスは宣教を始められたころには約32歳になってました。

キリスト教においてはナザレのイエスをイエス・キリストと呼んでいるが、この呼称自体にイエスがキリストであるとの信仰内容が示されている。

イエス・キリストいう呼び名は、苗字と名前であると思っている人は結構いるでしょう。

しかし、実際のところ名前の部分は「イエス」のみです。

「イエス」という名は当時よくあった男子の名前であり、それゆえにその人が住んでいる地域の名を付けて、「ナザレのイエス」などという呼び方をしていました。

「キリスト」という部分は「メシア=救世主」のことを指す言葉なのです。

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、神様がこの世界をお作りになったという考え方でいます。

そのため、神様が作った世界は神様が終わりをもたらすとも考えられているのです。

始まりがあれば終わりもある。

こうした考え方が一神教の考え方の基本になっています。

しかし、世界の終わりが来るというのは非常に不安です。

そこで、その終焉の時を迎えた際には人々を導いてくれる救世主が現れて、世界の終焉から救ってくれるという救世主信仰があります。

その救世主こそがキリスト教ではイエスであるということなのです。

一度十字架にかけられてそこから蘇り、御説教を唱えて天に昇っていきました。

「イエスこそが救世主(=キリスト)ではなかったのか」そういった思想が生まれるのも至極当然といえば当然のことだった。

こうした思想を持った人々のグループが増え、キリスト教が誕生しました。 

キリスト教の誕生こうしてイエスの弟子たちの手によって布教されて、キリスト教が普及しました。

するとイエスを処刑したローマ帝国自身が、大きなキリスト教の国家になるという何とも皮肉的な状況になるのです。

ここからキリスト教がヨーロッパへと広がっていくのです。

現実は、処刑されたイエス・キリストは弟子たちによって手厚く葬られました。

しかし、新約聖書ではイエスは処刑から3日後に復活して40日間弟子たちと生活し、その後天に昇って行ったと伝承されています。

イエスを実在の人物だと考えるのであれば、このようなことが起こるはずがありません。

実はイエスは処刑では死んでおらず、生き延びていた可能性が高いと考えています。

当時の十字架刑は48時間かけて執行されるのが一般的でした。

しかし、処刑日がユダヤ教の安息日の前日であったため、安息日に死体を掲げることを嫌った執行人によってイエスの処刑は6時間しか経たずに終了されたのです。

彼らは気絶したイエスを死んだと判断しました。

また、槍による刺突も致命傷にならなかった可能性があります。

このように考えるのであれば、イエス復活の奇跡を「処刑で気絶したイエスが3日後に目を覚ましたが、回復せずに40日後に亡くなった」と解釈することができるのです。

ローマ帝国からキリスト教が普及していったが、そのローマ帝国自体が東西に分裂します。

この際にキリスト教の教会も東西で分裂することになりました。

東は「東方正教会」。西は「ローマカトリック」。

東方正教会は、次第に東へと勢力を強め、ロシアまで到達します。

セルビア正教、ウクライナ正教、ロシア正教といった具合に成長を遂げました。

ローマカトリックはヨーロッパへと勢力を伸ばしていきますが、やがてマルティン・ルターなどによる宗教改革が起こりました。

これによって、カトリックの反対派(=プロテスタント)が生まれ、アメリカなどへと進展し独自に発展を遂げました。

ローマカトリック時代には、聖書がラテン語で書かれており、一部の神父しか読み解くことが出来ない状況でした。

しかし、15世紀に入り、聖書の翻訳が開始され、さらにヨハネス・グーテンベルグによって活版印刷が普及し、一気に一般市民の手元にも新約聖書が普及し身近な存在となりました。

こうして、神父の言っていたことは本当に正しかったのか?

など一般市民にも不満が生まれ、宗教改革の運びとなりました。

こうした派閥は国家の動きにまで影響を与える程の思想理念になっているのです。 

十字軍はイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地であるエルサレムが関係しています。

そもそも、三教団は、元が同じだから聖地が同じエルサレムなのは当たり前のことです。

今でこそエルサレムはこの三教団が平和的に暮らしています。

聖地なのだから流血沙汰になってはいけないということで、他の地域とはちょっと変わった形で共存しています。

しかし、昔、エルサレムはイスラム教徒によって独占されていました。

そんな中、キリスト教がエルサレムを奪還するために動くのです。

エルサレムにあるイエスが誕生した場所とされる聖墳墓協会奪還を目指して・・・。

これが墳墓協会奪還、エルサレム奪回を目指して最初に十字軍がエルサレムに入った際に、イスラム教徒だろうがユダヤ教徒だろうが関係なく大量虐殺を敢行しました。

結果エルサレムの旧市街は血の海になった。

十字軍は当初こそエルサレムの奪還が目的だったのですが、十字軍の名のもとにただの強盗集団へと変貌した。

また、思想理念だけは立派だったが少年が十字軍に志願をして、結果的に売り飛ばされて奴隷にされてしまったりという過去もある。

聖墳墓協会には十字軍の兵士が来た際にその高揚感や様々な感情を落書きとして書き残したとされており、それは今もなお残っています。 

こうして経緯からイスラム教徒は、キリスト教徒や十字軍、はたまた十字に対する恨みや怯えが生まれるきっかけとなり、イスラム教圏内では後に誕生した「赤十字」という組織ではなく「赤新月社」という組織が活動を行っています。

よほど十字に対しての嫌悪感が強いことが伺えます。

イスラム国に日本人二人が拉致されて殺害されたというニュースがありました。

この際に安倍首相は中東に行って「イスラム国と戦っている国々に対する人道支援」を発表しました。

その発表に対してイスラム国から返ってきたコメントが「日本の総理大臣よ。8500kmも離れたお前たちが十字軍に参加した」イスラム教とに反旗を翻すものは全て十字軍とみなされるのです。

こうした宗教の背景を知らないと理解できないような社会情勢が、世界では次々と起こっています。

しかしもしも神がいるとするならばこのような宗教抗争を見てどう思うのでしょうか?

崇めるに値すべき神であればきっとこのような抗争は望んでいないはずです。

イエス・キリストの元になったナザレのイエスは今から2000年近く前の人物であり、彼に関しての資料は新約聖書以外ほとんど残されていません。

また、イエスが起こしたとされている奇跡の中には自然現象の誤認や先駆的な医療技術だけでは説明できないものも存在しています。

そのためイエス・キリストは初期のキリスト教関係者が信者を集めるために創り出した「空想の人物」なのではないかという説が存在します。

また、イエス・キリストの伝承が神話の神に類似している点が多いことも、宗教学者がイエス創作説を唱えるきっかけになりました。

結局は、イエスは実在した人物で、どのような人物であったかは脚色だらけでございます。

そもそも、イエスはユダヤ教徒として生まれ、ユダヤ教として活動し、ユダヤ教徒として死にました。

彼の教えの内容に、その当時のユダヤ教を大きく凌駕するものはありません。

問題はイエスが死んだ後です。

イエスが死んだ後、元弟子たちの間に「イエスは復活した」という信仰が生まれます。

イエスの復活は、イエスが聖書に預言された救世主(キリスト)である証拠とされました。

こうした主張は他のユダヤ教徒たちに受け入れがたく、イエスをキリストだと主張するグループは孤立して、他のユダヤ人たちからキリスト教徒(キリスト者、クリスチャン)と呼ばれるようになったわけです。

ちなみに、旧約聖書は完全なるおとぎ話です。

旧約聖書の創世記には,900年以上生きた7人のことが述べられています。

みなノアの日の大洪水以前に生まれた人たちです。

その7人とは,アダム,セツ,エノシュ,ケナン,ヤレド,メトセラ,ノアです。

最初の人間から10世代までの人です。

中でもメトセラは,最も長生きした人としてよく知られています。969歳まで生きたのです。

そんなことあるはずないよね。

何を信仰しようと自由ですが、それが原因で戦争が起こってしまうのであれば宗教は元も子もないでしょうね!