クリストファー・コロンブス

(1451年頃 - 1506年5月20日)探検家、奴隷商人。

定説ではイタリアのジェノヴァ出身。

大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとりである。

コロンブスと言えば、探検家でアメリカ大陸を発見した人物として日本では知られていると思います。

しかし、学校の歴史の授業で習ったり一般的に伝えられたりしていることと、コロンブスの正体には大きな違いがあります。
 

世界史の授業で、コロンブスが新大陸を発見したと習ったと記憶している人は少なくないと思います。

アメリカ大陸には既に人が住んでいましたので、そもそも「新大陸発見」という言い方が非常におかしな表現です。

この表現自体が、インディアンなど現地に既に住んでいた人達を人間とは見做さないという人種差別的な意味を含んでいるんですよね。

コロンブスという人物は、虐殺好きの征服者であり奴隷商人だったというのが実態です。

コロンブスのことを、史上最大の悪魔・殺人鬼と評する人もいます。

コロンブスが航海をしていたのは、ただ単に探検をしていたからではありません。

金・香辛料・奴隷を調達して莫大な利益を得ることが目的で、コロンブスに出資した投資者に対して還元する必要がありました。

コロンブスが最初の航海で辿りついたのは、アメリカ大陸ではありませんでした。

コロンブス一行が実際に上陸したのは、バハマ諸島でした。

上陸した島では、コロンブス一行が空から使わされた神の使いだと先住民に間違われて歓迎を受けました。

先住民は、武器を持たないどころか武器という存在さえ知りませんでした。

そして「彼らは良い体つきをしており立派な奴隷になるだろう。

手勢50人もあれば彼らを一人残らず服従させることができる。」と、コロンブスは自分の支援者たちに手紙で書いていました。

コロンブスは2度目の航海で、行き着く島々で無差別殺戮を繰り返します。

先住民だけでなく動物や鳥など、コロンブス一行が見つけたものは全て略奪して破壊しました。

先住民に対しては、強盗、殺人、強姦、放火、拷問などを残虐の限りを尽くしました。

更に、コロンブスは装甲兵・騎兵隊と軍要件からなる一大軍団を組織化し、その後もやりたい放題の大虐殺を続けました。
当時のヨーロッパ人が欲していたスパイスと金が採れることから、西インド諸島は次々と欧州の植民地とされた。

どの島にも先住民が暮らしており、「平和的かつ友好的」で「ものを所有する概念が薄く」、かつ「体躯ががっしり」していた。

それを見たコロンブスは、サンサルバドル島に到着した初日の日誌に「優れた奴隷になるだろう」と記している。

このコロンブスの襲撃戦略は、以後10年間スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなりました。

南北アメリカ大陸で行われた白人による先住民の大虐殺の礎を作ったのは、コロンブスでした。

コロンブスが主に滞在したイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ)では、黄金や香辛料やほとんど見つからなかったため、先住民を奴隷として売りさばくことにします。

だが先住民にも奴隷となることを拒む者たちがいた

コロンブスとその配下は非常に残忍な方法で先住民を大量虐殺し、見せしめとして切り刻んだ身体のパーツを屋外で晒すことすらあった。

コロンブスが拉致した先住民は、スペインの奴隷市場で売り飛ばされるようになり、大西洋奴隷貿易が始まりました。

コロンブスが上陸した当時、西インド諸島には約800万人がいたようですが、20年後には僅か約2万8千人までに減ってしまいました。

ほとんどの住民は殺されたか奴隷として拉致されてしまったのです。

先住民にとっては、コロンブスは死神でしかないんですよね。コロンブスは西インド諸島での残忍な行為と統治能力の欠如によりスペインで裁判にかけられるが、有罪を逃れる。

その数年後の1506年、スペインで死去。

その後もヨーロッパ人のアメリカス侵略は続き、南米、北米にも及んだ。 

今、全米各地のコロンブスの銅像にペンキがかけられる、頭部がはねられる、台座が壊されるといった事件が続いている。

だが、アメリカは大量虐殺しコロンブスの「コロンブス・デイ」という祝日があるんです。