ルワンダ虐殺(ルワンダぎゃくさつ)

1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。

ルワンダはアンゴラ共和国の首都で世界一物価の高い国です。

ルワンダでハンバーガーセット食べたかったら2,000円も払わないといけないんだよ!

1994年、フツ族系の政府とそれに同調する過激派フツ族の手によって、100日間で少数派ツチ族と穏健派フツ族約80万人が殺害された。

ムランビ虐殺記念館は、ルワンダ南部州のムランビにある1994年のルワンダ虐殺に関する記念館である。

この建物は元々学校であったが、1994年4月に虐殺の現場となり、現在ではその惨禍を伝えるための記念館として使用されている。

フツ系大統領が何者かに暗殺されたことをきっかけに抗争が激化。

日頃から、たまりに溜まったフツ族のツチ族に対する憎悪感が、大統領暗殺事件によって弾けたのです。

「犯人はツチ族の奴らだ。

奴らは薄汚れた汚らしいゴキブリだ。

さあ、ゴキブリを駆除しよう!潰せ!殺せ!ゴキブリどもを皆殺しにしろ!」暗殺の犯人が特定できていなかったため、ラジオで連日ツチ族を責めたてる報道がされていました。

ラジオの声に煽られるように、たちまち人々は血に飢えた殺人鬼に早変わりし、今まで隣人だった人間に襲いかかりました。

あらかじめ夜の間に、襲うべきツチ族の住む家々には印がつけられていたそうです。

虐殺の凶器は、主に山刀 ジャングル内を進む際に、木々の枝をバッサバッサと乱暴に切り落とす時に用いられる緩やかに曲がった大型のナタ。

虐殺が始まると、あるツチ族の家族は市長に保護を求め、子供連れの女や老人が彼の親切なはからいにより、教会に身を隠しました。

ところが深夜、ツチ族を皆殺しにしようとやってきたフツ族により全員がメッタ斬りにされて殺されました。

なんとこの首謀者は、市長だったのです。

多くの者は野原に膝まずき、命ごいや祈りを捧げたがムダだった。

屠殺者は無表情でまるで野草を切り払うかのように、頭と言わず腹と言わず、山刀でメッタ切りにして進んで行った。

フツ族の娘たちは遺体にワーンと群がっていき、ネックレスや時計を略奪し、血で汚れていない衣服や靴があれば残さず剥ぎ取っていった。

楽しそうに駆け回っている少女たちの姿は、宝さがしのように面白いゲームのをしている姿に見受けられたそうです。


ツチ族系のルワンダ愛国戦線が同国を制圧するまで虐殺は続いた。

毎年4月7日は、「1994年のルワンダにおけるジェノサイド(集団殺害)を考える国際デーとされており、犠牲者の追悼とジェノサイド防止が呼びかけられる。

一夜にして起きた45,000人の虐殺、

国際社会の大失敗100日間で80万人の犠牲-。

ルワンダ虐殺での死亡率は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツによって行われたユダヤ人大虐殺(ホロコースト)の3倍に匹敵するとも言われている。

なぜ、ルワンダの虐殺はこれ程まで悲劇的なものになってしまったのか。

そこには、国連を始めとした国際社会の大失敗が存在する。

 ルワンダ虐殺が始まる約3か月前、当時の国際連合ルワンダ支援団の司令官を務めていたロメオ・ダレールの元にツチ族虐殺の密告が届いていた。

この密告を受けてダレール司令官はフツ族民兵の武器庫制圧を国連に提案したが、安保理決議でルワンダ支援団に与えられている権限を越えるものとして国連はこれを却下。

この判断を下したのは、後に国連事務総長になるコフィー・アナンだった。

なお、国際連合憲章第2条7項によって内政不干渉の原則が定められているため、虐殺が開始される前にフツ族へ武力行使をすることは出来なかった。

ルワンダ虐殺当時のビル・クリントン大統領は、同国へのアメリカの関与に対しても消極的になり、アメリカが常任理事国の一国を務めている安全保障理事会もその機能を発揮することが出来なくなった。

アメリカは1994年4月に、国連に対して国際連合ルワンダ支援団の撤退を呼び掛けている。

国連平和維持部隊は2500名から、4月21日には300名まで削減された。なお、ビル・クリントン大統領は、ルワンダ虐殺後に「私たちが虐殺を終わらせられたとは思わないが、減らすことはできたと思う」と述べている。

国連平和維持軍(PKO)の目的は停戦を監視することのみ国際連合平和維持活動の一つである国際連合ルワンダ支援団には、フツ族とツチ族の停戦を監視することのみを目的とするように命令が与えられていた。

武装をしている理由は自衛のためとされていた上に、武器を使用するためには国連事務総長の許可が必要とされていた。

ダレール司令官は、国連から与えられていたマンデートを無視して住民保護活動を行った。

安全保障理事会は、承認されたすべての国連の介入にマンデートを付与しそれぞれの国連平和活動が立脚する基盤が、マンデートである。

その後国連平和維持活動局本部からマンデートに従うように指示を受けたが、その後もマンデートを無視して駐屯地に逃れてきた避難民を保護した。

しかしながら、人員不足とマンデートから積極的な介入行動を行うことが出来ず、目の前で殺され続ける多くの避難民たちを救うことが出来なかった。

ダレール司令官は人員の増加やマンデートの強化を国連に求め続けたが、その要望は拒否され続けた。“「1994年4月12日は、世界がルワンダを見捨てた日だ。

ルワンダへの無関心から、ルワンダの人々をその運命に任せ、置き去りにしたのだ。

虐殺を主導したフツ族過激派は、ツチ族を「根絶」するために女性や子供を狙った。

生後間もない赤ちゃんも虐殺された。

資源の乏しいアフリカの小国に安全保障理事会は無関心安全保障理事会の常任理事国は、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国。黒人の国は一つも入っていない。

資源の乏しいアフリカの小国で起きている紛争に対して、安全保障理事会を構成する国々は消極的だった。

その一方で、同時期に起きていた旧ユーゴスラビアのボスニア紛争には積極的に介入を行った。

なお、ルワンダのPKO部隊員を削減する安保理決議が可決された同じ日に、ボスニア内における安全地帯防衛の堅持を確認した国連安保理決議第が通過されている。

ルワンダ虐殺後、国際刑事裁判所の設立、「保護する責任」の誕生、「人間の安全保障」の構築など、国際社会はその「反省」を活かし、様々な取り組みを行ってきた。

それにも関わらず、世界から「虐殺」は無くなっていない。

今年で6年目へ突入するシリア内戦では25万人以上が亡くなり、同じ中東のイエメンでは人口の8割に当たる約2100万人が人道支援を必要としている。

先日アメリカ政府はイスラム国(IS)の行為をジェノサイドと形容し、またアフリカの多くの国々では未だ内戦や貧困により不安定な情勢が続く。

世界に目を向けてみれば、不条理は限りなく存在し続けている。

「世界は何も学んでいない。」ルワンダ虐殺から22年の月日が経つ今も、ISなどのテロ組織が「虐殺」を行っている。