アルメニア人虐殺(アルメニアじんぎゃくさつ)
ヨーロッパ諸国では、特に第一次世界大戦に起きたものをオスマン帝国政府による計画的で組織的な虐殺と見る意見が大勢である。
それによれば、この一連の事件は「アルメニア人ジェノサイド」と呼ばれ、21世紀に至る現代でも、オスマン帝国の主な継承国であるトルコを非難している。
トルコ政府は、その計画性や組織性を認めていない。
ヒトラーがユダヤ人虐殺の手本にしたと言われるこの事件の犠牲者数は100万人とも150万人とも言われ、今なおアルメニア政府とトルコ政府の見解が一致していない。
アルメニア人はキリスト教徒で、オスマン帝国内に多数住んでいた。
第1次大戦中の1915年、同帝国はアルメニア人が「敵国ロシアに内通している」として強制移住などの措置をとり、大量の犠牲者が出たとされる。
アルメニア人は150万人が組織的に虐殺されたと主張。
トルコ側は30万〜50万人の死者が出たことは認めつつ、戦時下の悲劇だとして虐殺を否定している。
大戦に敗れた同帝国は列強に分割され、23年の革命でトルコ共和国が生まれた。
アルメニア共和国、通称アルメニアは、南コーカサスに位置する共和制国家。
東ヨーロッパに含められることもある。
首都はエレバンで、黒海とカスピ海の間にある内陸国であり西にトルコ、北にジョージア、東にアゼルバイジャン、南にイランとアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァン自治共和国と接する。
東ヨーロッパのアルメニアは「世界一美人が多い国」と言われる国です。
宗教では、非カルケドン派のひとつであるアルメニア教会の信者が大部分を占める。
ほかにギリシャ正教やカトリックの信徒がいる。