海軍甲事件(かいぐんこうじけん)

太平洋戦争(大東亜戦争)中の1943年(昭和18年)4月18日に、前線を視察中の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の搭乗機がアメリカ軍戦闘機に撃墜され、山本が死亡した事件である。

1943年4月、ガダルカナル島方面に攻撃を行った「い」号作戦に関連し南方の前線視察へ行きます。

その頃すでに、アメリカ軍は日本の暗号を解読しており、山本五十六に照準を絞って暗殺を計画していました。

4月18日午前6時、陸上攻撃機2機を使い、山本五十六は1号機に宇垣参謀長は2号機に分乗しました。

護衛は零式艦上戦闘機6機のみでブイン基地へ移動。

その途中のブーゲンビル島上空で、アメリカ陸軍航空隊P-38ライトニングに襲撃されモイラ岬のジャングルに墜落しました。2号機も被弾炎上。

海上に不時着しました。

アメリカは暗号解読に成功していたことを知られないようにしていました。

しかし、日本側は数週間前に暗号は変更していて暗号を解読されているとは思っていなかったのです。

その上、山本長官の行動を知らせる長い電文を前線に送ってしまうのです。

他方、山本長官の護衛機が少ないことを危惧し、護衛機を50機増やす様に伝言を託したが宇垣参謀長に伝わりませんでした。

1号機に乗って山本長官以下11名は全員死亡。

2号機の宇垣参謀長ら3名は負傷したが不時着後に救助されました。

軍医の検死記録を参考にすると、死因はこめかみから下顎を貫通しほぼ即死状態であったと推察されます。

しかし、銃撃してきたアメリカの戦闘機に搭載されている機銃は、12.7mm4門・20mm1門のみ。

もし検死記録通りであればこの機銃であれば頭半分を吹き飛ばす程の威力となるはずなのです。

この傷跡からすると小口径の銃弾の可能性が出てきます。

そうなると死因はアメリカの戦闘機ではなく、自決かもしれませんね。