弥生時代(やよいじだい)

日本列島における時代区分の一つであり、紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。 

期間: 紀元前300年 – 西暦250年

採集経済の縄文時代の後、水稲農耕を主とした生産経済の時代である。

この頃の人々は主に米を食べていました。

弥生土器にこしきと言う底に穴の空いた土器があります。

この土器に米を入れて水の入ったかめの上に置き、 一緒に火をかけて蒸したのでしょう。

米の他にも魚や獣の肉、果物なども食べました。

また、麦・アワ・ヒエなど畑の穀物も段々つくられるようになっていきました。

この頃の人々の衣服については今のところはっきりとしたことはわかっていません。

ただ、登呂遺跡から麻で織った繊維の切れ端や機織りの道具が発見されています。

この機織りの道具はアイヌ人が使っていた「すわりばた」と呼ばれるものによく似ています。

また、「魏志倭人伝」という中国の本によると布を体に巻きつけたり、敷布のようなものに穴を開けて そこへ首を通して衣服にしていたと書かれています。

この他、飾りとして勾玉やガラス玉などを首や手足に付けていたと思われます。

この頃の住まいは縄文時代と ほとんど同じようなたて穴(竪穴)式住居でした。
 

地面を深さ50センチくらい丸く掘り、 柱を建てかやなどで屋根を塞ぎました。

家の真ん中には囲炉裏がつくられ、ここで火をたいたりものを煮たりしていました。
 

寒いときには囲炉裏の火は住まいを暖めるという大切な役目をしていました。

屋根には煙を出す穴もつくられていました。

また、床の隅に大きな穴が掘られていることもありました。

ここに土器などを入れてその中にものを蓄えていたと思われます。