浅井長政(あざい-ながまさ) 幼名は猿夜叉丸。

戦国時代の武将。北近江の戦国大名。

浅井氏の3代目にして最後の当主。

昔、浅井長政と言う、とてもいい武将がいたのだ。

浅井長政は浄土真宗の村の人とも仲良くして楽しく暮らしていました。

織田信長は使者として送り、浅井長政に同盟を提案したのだ。

浅井長政は織田信長に朝倉義景を攻めないで仲良くしてねと言う条件も盛り込まれ同盟が成立する。

そして織田信長の妹・お市の方と、浅井長政は結婚したのだ。


浅井長政(23歳)とお市の方(21歳)は、もうラブラブでした。

とにかく浅井長政はメロメロでお市は日本一の美女だと絶賛!

しかし、ホントは八重の方など浅井長政には側室もいるんだけどねー。


1569年には茶々、1570年にはお初、1573年にはお江、の浅井3姉妹が誕生してたのだ。

だが織田信長が戦するぞと言うと!

浅井長政はエーーー戦なんて嫌だ、理由もないし、村の人と仲良くしてんねんと言ったのだ。

織田信長は、お前何言うてんねんと怒った。

そして浅井長政の村に嫌がらせをしてきたのだ。

しかも、朝倉義景と喧嘩しないでと約束したのに織田信長は朝倉義景を倒しに行くのだ。

(金ヶ崎の戦い)

これには浅井長政も我慢の限界!!!!!

朝倉義景を助けに行くのだ。

これには織田信長もビックリ後ろから浅井長政が攻撃してきたのだ。

織田信長は命からがら逃げました。

織田信長は徳川家康と同盟し浅井長政も朝倉義景と同盟。

織田信長、徳川家康VS浅井長政、朝倉義景

(姉川の戦い)

結果は織田信長、徳川家康の勝利!

姉川の戦いで勝利した織田信長しかし、まだ生きている浅井長政と朝倉義景を恨んでいます。

三年後、織田信長は浅井長政を攻撃!

(志賀の陣)

あの織田信長です浅井長政もボロボロです。

そこに朝倉義景が助けに来ますが織田信長は強い!

そこに浅井長政の浄土真宗の村の人々10000人も参戦。

なんと浅井長政の村の人々(一揆軍)も戦い始めたのだ、そこに比叡山延暦寺も浅井長政を助けに来てくれ戦い始めたのだ。

浅井長政は強かった、そこで織田信長は二条晴良と足利義昭に和解で解決できるように浅井長政の仲裁に入ってと泣きつきました。

浅井長政は二条晴良と足利義昭に和解しろと言われて仕方なく和解した。

すると織田信長は和解を無視して浅井長政に攻撃を開始した。

(小谷城の戦い)

まず浅井長政に加勢した比叡山延暦寺に火をつけて皆殺しにした。

織田信長は浅井長政の小谷城を包囲。

織田信長は羽柴秀吉を使者として送り、降伏を勧めたが、浅井長政は断り続け、最終勧告も決裂し、小谷城を総攻撃した。

さらにその日のうちに小丸を落城させ、浅井久政(父)は一族・浅井福寿庵、舞楽師の森本鶴松大夫と共に切腹して自害。享年48。

次の日には本丸も落ち、父の助命を条件に降伏しようと、浅井長政は城を出ようとしたが、父の死を知った。

これまでと観念して、浅井長政は本丸の袖曲輪にある家老の赤尾屋敷で赤尾清綱、弟の浅井政元らと共に自刃。

最後に浅井長政は、村の人々に、ありがとうと手紙を書いた。

小谷城の、浅井家は滅亡したのである。

1573年8月28日 浅井長政、享年29。

介錯は木村太郎次郎。

朝倉義景は血族の多くは織田信長によって殺害され、かくして戦国大名としての朝倉氏は滅亡した。

朝倉義景の首は京都で獄門に曝された。

お市の方は3人の娘(茶々、初、江)と共に、昌安見久尼らによって救出され織田家に引き取られたが、長男・万福丸はお市の方の助命嘆願もかなわず羽柴秀吉の手により捕われて殺害(享年10歳)


次男・万寿丸は出家させられ近江長沢村、福田寺の住職となった。


三男の浅井井頼は残党狩りから逃れ、のち大阪夏の陣にて討死したことから、真田十勇士の根津甚八のモデルとなっている。

浅井長政・浅井久政親子の首は京で獄門にされ、万福丸は探し出されて関ヶ原で磔にされ、親族の浅井亮親、浅井井規も処刑された。

1573年9月19日、浅井長政の母・小野殿は、織田家に捕らえられ、十指を数日の間にじわじわと切断され、死亡した。


また、浅井長政・浅井久政・朝倉義景の頭蓋骨は薄濃(はくだみ、漆塗りに金粉を施すこと)にして、翌年、織田信長は正月に酒の肴として楽しみました。

浅井長政、最後の手紙!

「今回は、思いもよらん事で、この小谷城も、もはや、無事なんは、この本丸だけになってしもた・・・何かと、不自由な籠城の中、君は、忠義を尽くしてくれて、ホンマ、感謝してるで!しかも、他のヤツが次々と城を抜け出して敵に投降して、城内はメチャメチャ混乱状態やのに、それでも、頑張ってくれて・・・僕の気持ちは、言葉にできひんし、ここには書ききられへんほどや」

浅井家三代 の墓(浅井長政の墓) ( 滋賀県 )

今日もまた山里に花を求めて入ってしまうのだろう。

一夜を過ごす宿は無いとしても。

浅井長政は、戦国時代の人気13位である。