営業たる者、待ち合わせに遅刻は御法度だ。

例えそれが気乗りしない見合いだろうが、待ち合わせ時刻が設定されている以上、最低でも10分前には到着してスタンバイ出来ていないと気が済まない。

(これも、麻生さんに仕込まれたんだよな…)

走って上がった息を整えながら、甲村は思った。

大きな窓硝子に映った乱れた服と髪を整え、深呼吸して気合いを入れる。

「この後、例の見合いか。がんばれ〜!」

営業所を出る前、そんな要らぬ励ましを掛けた麻生の顔を、恨ましく思い出しながら。

 

 待ち合わせのラウンジに入った甲村の目にまず留まったのは、アクの強い存在感を放つ渡辺満子だった。

「あ、甲村さーん!」

 気づいた満子が勢いよく立ち上がり手を振る。それでようやく、甲村は満子の傍らにいる女性の存在に気がついた。

 眼鏡を掛けているその女性は、シンプルな黒っぽいパンツスーツに、肩まである髪をナチュラルに下ろしていた。満子の横に居なければ見合い相手とは思わず素通りしてしまいそうな出で立ちだ。そして何よりその表情が、この見合いを楽しみにしているという満子の話から想像していたものとはかけ離れていた。

(もっとこう…渡辺さんっぽい人かと思ったけど)

彼女が立ち上がり、会釈した。甲村もジャケットの襟を正し、一礼する。

「お待たせしました。初めまして、甲村倫哉と申します。」

営業用スマイルを貼り付け、内ポケットから取り出した名刺を彼女に差し出す。

あ、という顔をして、彼女も鞄から名刺を取り出した。

「いえ、こちらが早く着いていただけなので。…初めまして。小暮也映子と申します。本日は、大変ご多忙のところ叔母が無理を申しまして、本当に申し訳ありません。」

彼女は深々と頭を下げた。その表情から察するに、その言葉は本心のようだった。

(この唐突な見合いは、渡辺さんの暴走か)

そう自分の中で結論づけると、肩の力が抜けた。

「あら、その忙しい中、時間をわざわざ割いてくれたのよ。ありがたいでしょう?」

「それだけ叔母さんが強引に無理言った、ってことでしょ」

ハハハ、と甲村は苦笑した。彼女は割と本気で恨めしそうな顔をしているようにも見えた。

「小暮さんも、年度末でお忙しいんじゃないですか?今日もお仕事で?」

彼女に水を向けたつもりが、間髪入れずに満子が答えてしまう。

「ほんとにすみません、こんな地味な格好で。綺麗にお洒落してきて、って言っといたのに。まったくもう、やえちゃんは」

「仕方ないでしょ、一日仕事だったんだから」

彼女は満子に憮然と答えてから、はっとした顔で甲村を見た。

「でも、お見合いの席には不適切で失礼ですよね。申し訳ありません。」

「謝らないで下さい。それを言うなら私だって仕事帰りのヨレヨレです」

少しふざけたように言うと、彼女は一瞬まじまじと甲村を見た。

「いえいえ。これでもかとビシッとされています」

「まぁ、お互い様ということで」

甲村がにっこりと笑顔を作ると、彼女の表情もいくらか和らいだ。

「あら!お互いに微笑み合って!いい感じじゃない!さあさ、二人とも座って座って!」

満子に促され席に着く。

とりあえずは、前もって勝手に想像していた女性像と違っていたことに安堵のため息をついた。

ヒラヒラのワンピースに、入念に巻かれた髪、鉄壁のフルメイクで完全武装した女性が、自分と目が合った瞬間、獲物をロックオンしたような顔になるのを、勝手に想像していた。

そして、甲村はそんな自分を内心少し笑った。

(見た目で判断されたくない、とか言ってるくせに、俺の見た目への偏見は相当だな)

満子は、勝手に流れるスピーカーのように二人のプロフィール紹介を始めた。

その後の話のネタに困らないよう、心でメモをとるのは甲村の癖だ。

と同時に、コーヒー片手にぼんやり聞いている彼女が、実は第一印象よりもずっと綺麗な女性であることに、甲村は気付いた。

透き通るような肌に、すらりとした鼻筋、瞳は大きくつぶらで、そこにかかる睫毛が憂いのある陰影を醸していた。

(どことなく、麻生さんに近いな)

だからどうだ、というわけではないのだが。

(とりあえずこの人が相手でよかった)

甲村は一言満子に断り、コーヒーを注文すべく右手を挙げた。


 

 澱みなく続く満子の話を聞きながら、也映子はどのタイミングで話を切り出すべきか考えあぐねていた。

どうせ断るのだ。早い方がいい。

だが、満子は会話の隙間を作ってくれない。

也映子が口を開くより前に次の話題に持っていかれてしまう。甲村からの話の振りも、満子がほぼレシーブしてしまう。

このままでは埒があかない。満子のペースに流される。

『ガタンッ』

也映子は、勢いよく席を立った。

「ちょっ…やえちゃん、いきなりどうしたの」

「甲村さん、少し、そこの中庭に出てお話しませんか。二人で」

ラウンジのすぐ横には、美しい日本庭園を誂えた吹き抜けの中庭があった。

日が落ちたこの時間はライトアップが施され、散策しているカップルもちらほら見られた。

「あら、いいじゃない!二人っきりでお話してらっしゃいな」

満子はにんまりご満悦の様子である。也映子が乗り気になったとでも解釈したんだろう。思っていることが顔に出るのは昔から変わらない。

「もちろん、いいですよ」

甲村もすっと席を立つ。仕草がいちいちスマートな人だ。

「では、あちらから出ましょうか」

エスコートしてくれるさり気なさも、嫌味がなかった。

(久しぶりだな、この感じ)

也映子は、ふと元婚約者を思い出した。

それから、理人だったらきっと、「もう暗いからやめときましょう。也映子さん、絶対コケるから」と止めるだろうな、と思った。

(…理人くん)

胸に蘇った面影だけの理人でも、恋しかった。

 

(続く)