8月11日 日曜日

530、起きる。

昨夜早く寝たからかな、スッキリしてる。
おっし、起きよう。

今日は出張だ。
世間はお盆に突入だけど、仕方なし。
自分が休んで後輩に行ってくれなんて言えないよ。

布団から這い出て、朝の儀式。
さて。。。
ちょっと時間あるな。
今日は朝食作っていこう。
米炊いたし。
冷凍した米をチンして、おにぎり二個作る。
鰹節と、塩昆布のおにぎり。
シンプル。
ラップでくるんで、炭酸水持って。
荷物まとめて630に家を出た。

今日は二つ向こうの県まで行く。
最初に山越え。

って、早朝なのにメッチャ車走ってる。
流石お盆。

ヤバい。

途中の土産物屋で手土産買って、山を越えていくけど・・・

お盆とかGWって、危険。
明らかに普段から車に乗っていないであろうペーパードライバー、同じくペーパーライダーが多すぎる。
何するか分からないから、ゆっくりでも離れて走るしかない。

でも、イライラして後ろの車がメッチャ煽ってくる。
甘いけど。
本気で煽るときは、バックミラーにヘッドライトも見えなくなるぐらい迫らないとね。
ま、もうそんな走りはしないけど。
煽る暇があるなら、さっさと抜いた方が楽なのにね。
大体そう言う奴に限って、直線はすごい勢いで来るけど、コーナーでスーッと離れて行ってしまう。
チョロい。

という事で、山道でがっつり渋滞。
もうね、いつも1時間半で抜ける峠道が、3時間かかったよ。
それから高速に乗る。
小一時間ほど走って降りて、目的地へ。

どもー

お久しぶり。

もう、25年ぐらい前から世話になってる業者さん。
部品の引き取りと、機械の施工だった。
約束の時間から、1時間も遅れてしまって申し訳ない。
お盆という事で、許して貰えた(笑

まぁ、後は任せて見てるだけ。
作業しながら色々なお話をする。
むかーし、ウチの職場がオーストラリアとかニュージーランドに遠征していた頃からのお付き合い。
メルボルンやパース、オークランドやハミルトンの街の話や、色々盛り上がる。
海外遠征、楽しいよね。
一緒にタラナキ山とかの方まで、行ったな~。
パースの街では、まだ若かった僕を色々励ましてくれたっけ。
どこの日本食店が美味しかったとか。
たまに誰かと語らないと、忘れてしまいそうな思い出だ。

お昼は一緒にコンビニ弁当食べる。
それからまた作業。
凄いな、やっぱりプロだ。
この仕上がりは僕程度のでは出来ない。
施行も、14時ごろ終わった。

はやっ

僕がやったら2日仕事だね。
しかも雑な仕上がり。

という事で、請求書を職場に回すようにお願いして、またお願いしますと工場を去った。

とりあえず、近くのコンビニに一度寄って・・・

道の検索。

いやー。。。
今朝の道、まだメッチャ渋滞してるじゃん・・・
あそこを3時間かけて止まりながら行くなら、迂回して1時間プラスの方がいいな。

という事で、山を迂回して別の山道で帰る事にする。

高速も、危ないな・・・

もうね、わかる。
登り坂になったりすると一定の速度を保てない方々。
それが渋滞の始まりなんだよ・・・

その遅い車に捕まってブレーキを踏むと、後ろの車もブレーキを踏む。
車間が詰まり、連鎖的にそれが何百メートル、何キロと連なり、それが渋滞の始まりとなる。

結果的に、前の車と車間を開けて走って、多少詰まっても余裕があるぐらいで走った方が渋滞は起きにくい。
それができない、車間を詰める方々が多すぎる。
危ないって。
前の車がいきなり車速0km/hになるとか、考えられないんだろうな。
レースとかで、それなりの腕のある人との信頼関係で車間を詰めるのとは訳が違うんだよ。
カマ掘るどころじゃ済まない。
質量×速度の仕事量、物理で習ってるはずなんだけどな。
1.5㌧の車が27~28m/sで動いてるんだよ。
そのエネルギーは結構なもんだって。

こわっ

という事で、前に入られてもなんでも、車間を開けて走る。
この危険な方々の多い長期休暇は、やり過ごすに限る。

高速を降り、山を迂回するように淡々と走った。

職場に戻れたのは、18時頃だった。
疲れた・・・

途中でラーメンでも食べようかと思ったけど、お盆で休みだった・・・
お腹空いた。

それから機械を片づけて。
搬送した車洗って。
お盆の職場には誰も居ない・・・

と思ったら、一人若い子がなんかしてた。
職場の中を、トラックで走り回ってた(笑
あは、いいね(^^)

少しお話してから、帰路についた。
途中、スーパーに寄る。
明日の朝食買わないと。
2日間は休めるからね。

帰宅して・・・

何もする気にならん。
近所のラーメン屋に行こうかと思ったけど、ちょっと最近外食多い。
でも、なんもする気にならん。

冷蔵庫を開くと、少し前に買ってきてた刺身こんにゃく発見。
キュウリもあるね。

もう、それで済ませる事にする。

シャワーしてさっぱりして。
きゅうり切ってさ刺身こんにゃく。
付属の酢味噌では物足りないので・・・
夏らしく、おろしニンニクと辛子を練り込む。



できたー♪

後は鉄腕ダッシュ見ながら、ビール開けて頂く。
美味し♪

その後は、さっさと片付づけて皿洗い。
それからPC立ち上げて日記書いて。

明日と明後日は、休めるな。
山へ行きたかったな・・・
って、そうだ。
昨夜TJARがスタートしたね。
出張だったから、全然見てなかったや。
早寝したし。

と、FB見てると・・・



望月選手、DNSってマジか・・・

Xで調べたら・・・

あー

そう言う事か・・・

そうだよね。
南海トラフ地震臨時情報が発表された。
静岡の消防士の望月さん、緊急時は真っ先に現場に行かなければならない人だ。
それを考慮してのDNS(Don’t Start)か・・・
それもまた、カッコいい人だな。
なんか、中年の星と言ったら失礼だけど、あの人の考え方とか、生き方とか。
尊敬できることが多すぎる。

自分がその立場だったら、このレースの出走前にリタイヤの決断ができるだろうか。
2年もかけて準備してきて、運も含めた予選を突破して。
スタート前に辞退か。
絶対諦められないよ。。。

それが出来るこの人を、本気で尊敬する。



何年だったか。。。

望月選手が当時最速タイムで南アルプスを駆け抜けて来て、山間部最後のCP(チェックポイント)の茶臼小屋に到着した時、僕と息子はそこに居た。
まだ、息子は小学生だったかな。
僕らも、同じ道を歩いて太平洋を目指していた。
山小屋の人達も、息子が日本海から歩いて来たのを知って、休憩中の望月選手に面会させて貰ったっけ。
歩いて来たと言っても、延べで歩き繋いだんだけどね。
それでも、その時は歩き繋いだ最後の仕上げ。
北沢峠から南アルプスを歩いて8日目の朝だった。
その夜に、望月選手が太平洋に到達したとニュースを見たな。
前人未踏の5日切りのトップタイムだった。
現時点では、塗り替えられたけど・・・
その時は史上最強の中年だった。
僕と息子はその3日後に太平洋に着いた。

茶臼小屋から下山して、畑薙からも太平洋に向けて歩き続けた。
息子は当時、ロードを1日35㎞歩くのが限界だった。
何人もの選手の人達に抜かされ、歩きながら応援したっけ。
ボロボロになり、それでもなんとか歩き続け・・・
そしてその後、小学生の息子は太平洋まで歩ききった。
延べ32日間、テントを背負ってよく歩き繋いだよ。

北沢峠から太平洋まで。
歩行距離180km、累積標高差↑9000m↓11000m
大浜公園で、噂を聞いてくれていたTJARのオフィシャルの人たちに囲まれて、息子と一緒にあのゴールの前で写真を撮り、太平洋に足を着けた。

ちょっと、語り過ぎか。
辞めよ。

たまには、自慢させて。
息子との懐かしい思い出。
僕ら親子は、その当時のNHKのTVにも一瞬だけど映った。
採用されたっぽい。


あぁそうそう。
TJARが分からない人は、これを見てね。
TJAR
日本海から太平洋まで、北、中央、南アルプスの稜線を繋ぐ山岳レース。

この日記が上がる頃も、まだ山を走っている人が居るはず。
速かった人が全てでは無い。
この道を歩ききった人、この道に挑戦した人は色々な意味が解る道。
そんなレースだと思う。

・・・

明日は休みだ。
夜更かししても良いよね。

25時ごろ、横になった。

おやすみ、子供達

おやすみ、Uさん