すっかり晴れた雨上がり。写真を撮るとそれなりにカップルばかりの日曜日です。親子連れも居るにはいるが、場所柄、ちびっ子にはあまり楽しめないかも…落ち着いた年齢層でした。




日比谷公園をはさんだ向こうのビル群は、方向から言って 霞ヶ関では無いかも。文京区水道橋あたりかな??


B1階の3番スクリーンにて。

満員御礼ですよ!!私も前日夕方にwebからチェックした時点で、やばい!これは素で行ったら入れ無い!と慌てて予約。希望通りの端っこ(通路側)にしといて ほんとによかったー。

最終日はだいたい木曜日だから この日が最後ではないだろうとしても 3月24日公開だったらしいので!あと1週間ほどで1ヶ月経っちゃいます。最初はIMAXやドルビーアトモスが選べるシネコンでも見られたみたいなので惜しかった…昔の映像なのでIMAX向きってほど精細な映像は無いんだけど、音は良い音のほうが感動しますよね。

シャンテシネではまだポストカードを入場特典で配っていると聞いてここにしてみましたが、今日は既になにも無かったです。パンフも無いしチラシも無いので、ポストカードぐらいはあったら嬉しかったよね…


映画公式トレーラー(予告編)ありました!



これは伝記なんですが、ト書きとかナレーターは全く付けてなく、本人のインタビューをモノローグ風に流して場面転換したり、もちろんTVインタビューそのものも多数流れました。


冒頭に、

世界的な環境破壊についての嘆きがあり、『神がいないのなら、では自分が神のように代わりに何か出来ないなら、どうしたらいいのか…』のように語っていました。


まさに

Queenと共演した Under Pressure にては そのような歌詞でした!



この曲はクイーンのアルバムに収録されています。



クイーンの伝記映画にても使われた曲なので、このサウンドトラックアルバムにも入ってます。


映画のなかで時系列に流れた曲たちはどれもある程度メジャーな曲たち。

まずは、
モット・ザ・フープルが解散するかとか言っていたのであげた曲。これがヒットしたのでモットは解散しないで済んだという逸話つきです。




次は、BBCの宇宙に関する番組で使われたことでBowieを有名にした曲。

Bowie公式YouTubeアカウントより。公式MVです。

奇妙なルックス。今思えば、君花の花巻由紀社長(夏木マリさん)の、眉をファンデーションで塗りつぶしちゃったような、怖い人に見えるメークは、Bowie風だったんですね!その年代の人だものね…




そしてBowieをスターダムに押し上げた曲。

細ーい、ディストーションをかけたエレキギターの音で始まる、特徴ある曲。Jon BonJovi等もこの曲がお好きのようですね。


現在でも名盤として語り継がれている、パッケージ(アートワーク)まで全部コリに凝った一枚です。



ロキシー・ミュージックに居たブライアン・イーノにプロデュースしてもらい、ベルリン録音三部作 も作りました。


ブライアン・イーノwiki



ベルリンを東西に隔てていた壁(第二次世界大戦後、ドイツの領土を2つに分け、東ドイツを作りソ連の影響下で共産主義国とし、西ドイツ内にあった東ベルリンはソ連の占領地になったために壁が作られた)を打ち壊して東西ドイツ統一!をする機運を高め、世界の歴史を変えたとされるこの曲。

壁を隔てて離ればなれのカップルのことを歌っています。


これに収録されています…

誰もが観たことがありそうな、アップ撮りポートレートを使ったアルバムアートワーク。


日本贔屓で特に京都には何度もプライベートで来日していたらしい。日本映画『戦場のメリークリスマス』にも主演しました!


これ映画1本見られちゃうのかな?

沢田研二と2ショット写真を撮っているシーンも映画に出てきました。たしかに沢田研二(ジュリー)は、ボウイの影響を色濃く受けていて、

ボウイーのバックバンドは『スパイダーズ フロム マーズ(火星からきた蜘蛛軍団)』という名だったのですが、

沢田研二のバックバンドは『エキゾチックス』

アルバムごとにスタイルがどんどん変わる、変化していくボウイーを、ジュリーは尊敬していたんかな。または、飽きっぽい気質は似ていると感じていたのかも…


エキサイトブログに書いてらっしゃる方を発見



有名なシマシマ衣装のデザイナーは山本寛斎さんでした。


日本語で読むアラビアのニュース



予告編、別バージョンもありました!

80年代に大ヒットしたアルバム『Let's

Danceの』頃の熱狂ぶり。故郷の英国でもヒットチャートを席巻しました。



私が覚えているのも、この時代の、33才ぐらいのボウイです。カラフルな原色のスーツを着てステージに立っていましたね。






3曲ともこのアルバムに収録されています、捨て曲なしのお得なCDと言えます。



このアルバムは ご存じ、シックのナイル・ロジャースのプロデュース。あとからインタビューを読む限りでは、セールス的に一番大きかった80年代が、じつは音楽的にはスランプ期だったらしく、自分で作れないからお任せしてみた、と語っていました。

もとは こんな"商業音楽"をやりたい人では無かったらしいです、皮肉なものですね…


ナイル・ロジャースwiki



45歳になってアメリカで、スーパーモデルのイマン36歳と出会い 再婚。(お互い再婚同士)

ニューヨークに住んでいたんですね!


イマンのインタビュー初めて見ましたが、英語がなかなか訛っているね。米国育ちと違うんだったね、

アフリカ出身らしい!


イマン&デイビッド・ボウイー



遺作『ブラックスター』をリリースした翌日ぐらいに亡くなりました。映画ではそこまでは追いかけていませんでしたが、また会える日までGood bye.と言っているインタビューが流れたので、啜り泣きも聞こえてきました。


終わってエンドロールではやはりこの代表曲が!

若い世代への愛情が感じられる温かい歌詞です。


なんと、1972年のTop of the Pops(英国の、ミュージックステーションみたいなゴールデンタイムの歌番組)が残っていました!



肩を組んで一緒に歌っている金髪の人は、ボウイーのバンドに居てとても有名になったギタリストのミック・ロンソンさんです!ボウイより10年ほど早くに病気で亡くなっちゃいました…


ミック・ロンソンwiki


さらに、チェンジズにて

時は僕を変えていく 僕は時を遡れない

と言うのを聞いて終了、でした。




ほんとに仕事だらけの、(やぎ座なのでワーカホリック気味) ガンの闘病を公表せずに最後の最後までレコーディングをしていた人生だったんですね。


しかし、仕事は自分ではない、仕事が全てでは無いとも言っていて、アイデアが枯渇しそうになるとイギリスからアメリカに移住したり、とくにアジアやアフリカなどの世界中を旅していましたね。



子供時代はあまり良い思い出がなく、とくに郊外での退屈な高校生活に飽き飽きしていた。再婚した母に連れられ新しい家族とともに暮らし、継父の連れ子の歳の離れたお兄ちゃんにとても影響を受けたが、彼が空軍に入って、帰ってきたら統合失調症になっていて。彼は亡くなるまで病院で過ごした。と語っていて、軍隊や戦争、人間が地球という自然にやってきた悪いこと、にはとても敏感な人でしたね。お義兄さんは年代的に戦争には従軍していないとは思いますが、軍隊生活でいったいどんなショッキングなことがあったのか…

ボウイは軍には行きませんでしたもんね。募集制だから全員はいかなくてもいいんだよね。



これは…劇中で使われた曲が全部収録されているCD。26曲ぐらい使われています。




愛用ギターと同じ品も売られていますね!



Tシャツなどのグッズもかっこいいものが多かったです。


特にこのデザインは、実際に着てる人が多かったかな。



日本のロックバンド、BOOWY や Ziggy は、デイビッド・ボウイーが大好きだったからつけたバンド名なんですよ。





終わって、エレベーターで一緒に地上まで行った見知らぬ女性達と、

『良かったですね!!シーンと静まりかえって満席の観客がしっかり聞き漏らすまいと聞き惚れていて…』と、笑顔で談笑してしまったほど!


たくさんのfanだった人達と一緒に見られる、実在した人の伝記映画というものはライブさながらに楽しいものですね。明らかに1世代年上が、男女とも観に来ていました。70年代のグラムロック全盛期が

Bowieの成功を決定づけた時期だったので、日本でも70年代から聴いてるfanがたくさん居るはずです。

上映しているうちに、ぜひぜひ よい音響で聴ける 劇場へ。




夕暮れ時も、よく見りゃカップルだらけ!の、日比谷界隈からお届けしました!また来月!!