しゃばだばだーーーー


シャバに復帰!!








病院食5連発!!どれも美味しかったです。


昨年埋めた金具を取ってもらいました、

二度と麻酔かけたくない、切りたくない、て思っていたけど、やっぱり元気なうちに取ることにした。

患部は痛くないんだが、患部と対角線上の反対側のスネの筋肉が痛い。歩き方が不自然になって変に力がかかっているみたいで…


でもね、思い立つまで勇気が要りました

寒くなってから、と思っていて、10月を逃したので11月に。有給休暇も申請済みで万全です。


この手術、抜釘(ばってい)と呼ぶんだって。抜蹄でなく?(←馬の蹄鉄を取り出すみたいな呼び名?!)


半身麻酔のせいで、手術日当日は、あさから絶食、、7時までに生理食塩水パックを2つ飲んどくのみで、

昼も夜も食べられず、寝たきり(尿道カテーテル付けた状態)で、この日は我慢。

治療方針が以前とは変わって、有無を言わさずカテーテル、になってしまったんだって。入れるの怖かったのですが、

手術台に乗って、背中に麻酔の注射をし、麻酔きいてきたかなー…ぐらいのタイミングでカテーテル挿入してくれたから、まったく痛くなかったです。

翌朝、抜くときは簡単でした♪ 


3日めは夜中から寝返りも打てて、麻酔がさめたら動けるようになり、手術あとの不自由さが嘘のように、もとどおり。元気が戻りました!患部を消毒してもらうだけ。痛み止めを飲みさえすれば普通に歩けました。


この先生は天才だな✨よい整形外科の先生に恵まれました(昨年と同じ方です)。


ときに、4人部屋料金を希望しましたが、2人部屋しか空いてないとのことで、2人部屋に入れてラッキー。


となりのベッドに2日遅れて入ってきたおばあちゃん、

看護婦さんとの会話が聞こえて、バスタオルも浴用タオルも持ってき忘れたらしく、、ご家族が次にくるのは明後日。


ワタシ、2組タオル持参したが、実際には術前の一回しかシャワー出来ないことがわかったので(最終日の朝の回診で傷口に防水テープを貼ってもらうまではシャワー不可だった)


未使用ですからどうぞ!と、さしあげてきました。


喜んでくれて、おかえしに、チョコレート1箱を頂きました。(お菓子はたーくさん持参していたらしく)


以後、カーテンで仕切られていても、なんだかんだ話しかけてもらえるようになって、

娘や孫と一緒に住んでるおばーちゃん(もうじき90歳)なので、やけにコミュ力が高い方だったわけだけど。


戦時中の小学校4年生のとき、茨城県に疎開して、

よりにもよって3月はじめに墨田区に戻ってきちゃった、、学校のことでなにかあったからとかで、、


で、東京大空襲に、遭っちゃったんだと!!


焼夷弾の雨のなかを逃げまどって、荒川の土手に逃げ込んで助かった。


以後、北に歩いて葛飾区に着いたら、避難したあとらしき空き家が、焼けずに残っていて、

そこに住み着いたが、家主は戻ってこなかった。で、そこで育ったって。なんという強運!!


しかも、お兄様は、あの『予科練』にはいっちゃって

(これが当時は、お父様の自慢だったそうな)

沖縄に赴任したから、玉砕したんだとばかり思って諦めていたら、

満洲に移されていてそこで終戦を迎え、

帰ってきたんだとか。


退院後、この話を娘(卒論奮闘中!)に言ってみたら、


そ、そのおばーちゃんは、生きてるパワースポットだ!てゆーの。

(もっと良い言い方無いの?仙人様みたいな??)

まさしくそーゆーかんじの人よね…


結局そのおばーちゃんには、今日になって、石鹸やシャンプー、リンスも 残ったの全部あげてきちゃったわけだけど(多めに買ったものだからさ)


そんな強運なおばあちゃんだから、私もなんとなく、ものを譲りたくなってしまったような気がしないでもない。

そもそもはじめ、姿を見ず、声を聴いただけで、なにかしら力になりたいなーと思わせるような方だったわけで。


このチョコレートきっと御利益がある!と拝みながら、みんなでありがたく頂いているところです

^_^。



ポリフェノール2.6倍?


御利益も、2.6倍かなー?