日本の青空菜園・第一号!!【軍艦島】の屋上から野菜を・・・。 @世界遺産を目指す長崎県【後編】 | ☆絶景・グルメ・温泉、郷土の香りに誘われて☆  

日本の青空菜園・第一号!!【軍艦島】の屋上から野菜を・・・。 @世界遺産を目指す長崎県【後編】

◆皆様、こんばんは。本日もブログにご訪問いただき誠にありがとうございます。

1960年頃、軍艦島だけでも約5,300人の人々が住んでいたとされる炭鉱の島【端島】。

当時は、島の人口密度が世界第1位、東京の約9倍となっていた程、人々に溢れ活気づいていた。

島には、小中学校・病院・公民館・警察派出所・アパート・共同浴場・公園・スーパー・テニスコート・パチンコ店・映画館・神社等いろいろな施設・設備が完備され、一生懸命働く炭鉱の人々や家族を支え、一時はその限られたスペースで青空(屋上)菜園なども行われていたほど空間にも工夫が凝らされていた真実には驚きを隠せない。又、昭和30年代・テレビなどの電化製品の復旧率が100%(他地域2%)と、群を抜いて生活水準が高かったことも日本の近代化・炭鉱の島を象徴する事実である。

◆勿論、苦労話や秘話は多く・・・さまざまなトラブルにも遭遇していたことは現代にも多く語り継がれ、炭鉱マンはまさに命がけの仕事であったことがうかがえる。(一時は、女性も働いていた)

 

◆島をぐるり1周回ったところで、いよいよ全員上陸となりました。

近くなるにつれて廃墟と化した、構造物がリアルかつミステリーに思える【軍艦島】は、想像以上の迫力です。6回にわたる護岸堤防の拡張により、現在の島の大きさになったんだという。

 
 

◆今にも崩れそうなコンクリート。その地下には、1891年から1974年の閉山までに約1,570万tもの石炭を採掘した海底鉱山の跡地が眠っています。

海面下1,000m以上の地点までにおよんだといわれる作業現場、長さは約2,000m。勾配は、きつく、気温30℃・湿度95%という悪条件の中、ガス爆発など常に危険と隣り合わせだったという事実を知りながら感じる現地の雰囲気は言葉ではあらわせない。

 
 

◆そして、国のエネルギー政策の転換により、石炭から石油へと移りゆく日本。1974年1月、閉山を余儀なくされた【軍艦島】ではあるが・・・その名残りと歴史は、人々の目や心に刻まれていくんだと思います。

 

◆今回、偶然にも参加したツアーで現在唯一、当時の軍艦島で働かれた経験をもつガイドの【木場田】さんのお話は、笑いも含みながらも過酷な現実を知る貴重な情報源でした。




ありがとうございます。

◆この島に上陸できたことに感謝・感謝。

はるか昔の日本の空気(近代化の日本)を感じることが出来たことが、とても良い想い出となりました。

近い将来、長崎県【軍艦島】が世界遺産に登録される日を心から待ち望んでいます。

軍艦島は、偉大なり。



皆様、この島・・一度ご訪問くださいませ。

~つづく~