「勉強しなさい」

私は、
この言葉をできるだけ減らしたいと思っていました。

やらされる勉強って、
長く続かない気がしていたからです。

でも、
現実はそんなに簡単ではありませんでした。

息子は、
自分で興味を持ったことには、
驚くほど没頭します。

でも逆に、
“やらされている”
と感じた瞬間に止まるタイプでした。

だから、

「今日は何からやる?」

みたいな声かけをしても、
タイミングによっては、

“責められてる”
“急かされてる”

と感じるらしく、
普通に反発されます。

「何時から始める?」

も同じ。

こちらとしては、
確認や整理のつもりでも、
本人には圧になる。

この距離感が、
本当に難しかったです。

だから、
勉強そのものに踏み込むというより、

「原因は何だと思う?」
「どこでズレたか明確にできそう?」
「それを変えるために必要なことは何?」

みたいな話はよくしていました。

“なぜできないの?”

ではなく、

“何が起きている?”

にフォーカスしたかったんだと思います。

とはいえ、
親も人間なので、
余裕がなくなる日もあります。

息子が受験をやめたいと言い出した時期もありました。

6年の秋です。

あとから振り返ると、
夏頃に一度、
燃え尽きていたんだと思います。

でもその時の私は、
気づけませんでした。

塾は自主性重視で、
宿題提出も必須ではありません。

しかも、
それまでの蓄えがあったので、
定例テストの成績も急には落ちなかった。

だから私は、
11月になるまで、
宿題をほとんどやっていなかったことに気づきませんでした。

そこからの立て直しは、
かなり苦しかったです。

その頃、
息子は初めて、

「受験をやめたい」

と言いました。

でも私は、
その時は止めませんでした。

限界なのか、
逃げなのか。

正直、
かなり悩みました。

塾では、
最難関向けのクラスに在籍していて、
希望者には、
専門医の先生との定期面談もありました。

そこで以前、

「秋以降は、異次元のストレスがかかる」

と言われていたことを、
何度も思い出していました。

実際、
周りの子たちは本当にすごかったです。

平日も何日も夜まで講座を受けて、
演習を大量にこなし、
他塾を掛け持ちしている子もいる。

そんな空気の中で、
息子はかなり“ゆるふわ”でした。

野球観戦にも行っていたし、
最後まで、
どこかマイペース。

それでも、
必死に食らいついていました。

だから、
今振り返って思うのは、

受験で鍛えられたのって、
単純な学力だけじゃなかった、
ということです。

しんどくても、
崩れても、
また戻る。

うまくいかなくても、
立て直す。

たぶん、
一番鍛えられたのは、
そういう力でした。

そして親の方も、

どこまで支えるのか、
どこで止めるのか、
どこまで待つのか。

ずっと揺れながら、
試されていた気がします。