第一章 僕らが旅に出る理由

 
 果てしなく続く完璧な『無』の世界に浮かぶ、小さな小さな惑星『地球』。

見逃してしまう程の大きさにも関わらず、複雑な美しさに魅了される者は多い。


 集まった球体たちは、地球へ祈りを捧げるようにキラキラと光を宿す。

球体の大きさや形は様々で、惑星のように巨大でツルッとしている者もいれば、一粒の砂のように微塵でゴツゴツしている者もいる。


 球体から放たれる光も個性的で、周りを飲み込んでしまいそうな大きな光もあれば、今にも消えそうな小さな光もある。

光の球体の正体は、地球に行きたいけれど、一度も行ったことのない者、あるいは、地球には行ったことはあるが、様々な理由で宇宙船を失った者達である。


 光の球体の集まりが最大となる『大宇宙地球集会』と呼ばれる、地球が太陽に一番近づく期間にだけ開催される集まりは、地球に行く為に絶対的に必要な、宇宙船を唯一手に入れられる場である。

そして、地球らしく一方的で限定的なルールに則って行われている。


 一度、宇宙船を手にしてしまえば、なんだかの理由で失わない限り、何度でも地球旅行に行っても良いし、後継者を見つけ地球旅行のサポート役に回っても良いのだから、地球に魅せられた球体たちは、このチャンスを逃せないのである。
 『大宇宙地球集会』で、宇宙船を手に入れる方法は、たったの二つ。
一つ目は、光の球体の群れに紛れ込んだ、空の宇宙船を運よく見つけた者が優先に乗り込む。
二つ目は、後継者を探しにきた宇宙船に、運よく選ばれて同乗する。

 宇宙船を手に入れられる者は、ここに集まった内のたった一握りだけだ。
 
 私は、数えきれない光の球体の中から、ソフィアの目にとまり彼女の宇宙船を引き継ぐことになった。宇宙船の中は、既に地球らしいとでも言おうか、宇宙船を操作するボタンやモニターといった、なんとも地球らしい物質が散りばめられていた。


 ソフィアの「さぁ、出発してちょうだい。」の合図で、宇宙船が光の球体の間を掻い潜りながら勢いよく前進した。宇宙船を手に入れた者たちは皆、宇宙船と共に、光の群から流れ落ちるようにヒュンっと、さらに宇宙の奥へと消えていく。


 ソフィアが、「この辺りで停めて。」と言うと、宇宙船は一人でに止まった。
 宇宙船は、目の前にある瑞々しく透き通った巨大な惑星の光の反射をたっぷりと受けていた。今までいた場所とは全く異なるエネルギーがとても心地よかった。私たちの宇宙船以外にも、数え切れない程の船がフワフワとあちらこちらに浮いている。


 地球に数回行ったことがあるソフィアが言うには、同じ惑星のエネルギーの流れにいる者同士が、地球上で出会うことができたなら、この場所の心地よさを地球でも味わえるらしい。

 

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この場所の心地よさを地球でも味わえるらしい


 早速、ソフィアは「これがないと何も始まらないんだから、どうしよも無いわね。」と言って、ドンっと一冊の本を私の目の前に置いた。


 ざっと一万ページはあろう分厚く立派な本。ペラペラとページをめくってみる。中身は全て白紙だったが、最後の1ページには既に何かが書かれているようだった。


 「この白紙の本は何?」と、私は不思議そうにソフィアを見上げると、「これは、『地球の宿題帳』よ。まずは、これに地球で学びたいことや経験したいことを事細かく創造してみて。


 なんとも地球らしい決まり事よね。この宿題帳を創り上げ、目的を持って地球に行かないといけないなんて、なんて面倒な惑星なの?まぁ、だから、魅力的なんだけど。」とソフィアが言った。


 面倒だとか、魅力的だとか、そんな地球らしい感情はよくわからないけれど、地球を観察し続けてきた私には、こんな事とても簡単だった。全てのページを埋め尽くすほどの学びや経験を、一瞬で本の中に完璧に創造させた。
 
 そして、次のステップに取り掛かる。
「あなたを物理的に生み出してくれる母親を選ぶのよ。『地球の宿題帳』をこの読み取り機に入れると、全宇宙の宿題帳にアクセスして、あなたが望む経験や学びにマッチする女性を何人か選び、このモニターに映し出してくれる。その女性達を、そこにある地球を覗けるカメラを通して見て選んだらいいわ。」とソフィアは、船に設置されている地球らしい機器に実際に触れながら説明した。


 母親を決める事も、とても簡単だった。カメラを覗くと、明らかに一人の女性だけが、私にとっての完璧な母親に見えるのだから。
 
 「あとは、地球旅行から戻ってくる瞬間の、最後の着ぐるみを選ぶのよ。今度はね、このボタンを押してから『地球の宿題帳』を読み取り機にもう一度入れると、ほうら、自動で着ぐるみを選んでくれるの。」と言いながら、ソフィアが手際良く操作すると、モニター上に人間の姿が映し出された。


 「はい、これがあなたの最終形態。19911221201130688.18.23番よ。この最後の着ぐるみに辿り着くまでの着ぐるみは、逆算されながら、その都度、宇宙船からの調整が入っていくから。」と、ソフィアは話しながらモニターに映された着ぐるみの姿を、あっという間に消した。
 
 「さぁ、これが最後の準備、それは名前よ。地球に住む人間は、言葉を巧みに使いコミュニケーションをとる。共通認識として全ての物に呼び名があるように、人にも名前をつけることで一つの個として部類できるラベルを貼るのよ。あなたの名前は?」とソフィアが淡々と尋ねると、「エリーです。」と、私はもう既に決めてあったかのようにあっさりと答えていた。
 
 「よし、準備は完璧ね!」と、冷静沈着だったたソフィアに、突然、明るく力強い光が宿り始めた。

 

 「最後にこの旅の大まかな話だけさせて欲しいの。宇宙感覚しか経験していないエリーにとっては、きっと理解できない話がたくさん出てくると思うけど、とりあえず聞いて欲しい。地球で多くの事を学び、経験しているうちに、私が話していた事はこのことだったのかと、点と点が勝手に結び出していくから。ね?」と、楽しそうに話すソフィアを『既に全てある。』が当たり前の私は、理解なんてしようともせず、ただ眺めていた。
 
「地球旅行の目的は、もう知っていると思うけど、この完璧な宇宙では経験できない『完璧ではない世界を楽しむ為』よ。例えるならば、この宇宙は、何も起こらない、邪魔する者もいない、全てが満たされた完璧な地。
 そして、地球旅行というのは、『宇宙という崖』と『地球という崖』の間に繋がれた、『不安』を編み込んだ一本の『綱』をどうやって落ちずに、そして、見失わずに渡り切れるかというスリルを楽しむアクティビティみたいなもの。
 その崖の間には、常に吹く風があってね、下から吹く『浮力』という『宇宙感覚』の風と、上から吹く『重力』という『地球感覚』の風。浮力は、一歩一歩を軽快に早く前に進むことを手伝ってくれるけど、浮力の風だけでは、体が空高く浮き、渡るべき綱を見失う反面を持つ。


 重力は、一歩一歩、着実に綱を感じながら進むことができる。だけど、重力の風だけでは、足取りが重く、真っ暗な谷底まで引き落とされてしまう反面を持つ。
 だからね、二つの風の特性を生かし、上手に両方の風に乗り、絶妙なバランスをとりながら綱渡りを楽しむの。時にフワフワと心を踊らせながら、時に深く心を闇に沈めながら。不思議な事に、風のバランスがピタりと合う時は、わざと綱を揺らしてみたくなったりしちゃうのよ。ねっ、それが、完璧ではない世界を楽しみに行くって事。それはそれは、楽しい旅なのよ。」と、ソフィアはニヤリとしたながら鼻で笑った。そして、こう続けた。

 

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『不安』を編み込んだ一本の『綱』をどうやって渡り切れるかのスリルを楽しむアクティビティ

 「往路は、『宇宙感覚の衝動的欲求を持ち、地球感覚の社会的ルールを学ぶ旅。』 それは、今、この瞬間を生きているっていう感覚を忘れていないと言ったらいいのかしら。だから、行動が素直で率直で突発的である。でもね、完璧ではない地球に住む完璧を求める人々が作ったルールに則った生き方を学びたかったのだと思いだしていく時でもあるのよね。

 

 そして、帰路は、『地球感覚の我慢を知りながら、宇宙感覚の自由を受け入れる旅。』


 地球らしく、人との関わりを持ちながら生きるということは、様々なルールや習慣に則った生活で、どうしても全てが完璧とはいかず我慢を伴うことなのだと受け入れるけれど、制限のある地球を味わう旅に来ていることを思い出し、再び、宇宙感覚を取り戻して地球を楽しもうとするの。
 
 あと、忘れてはいけない事は、地球には時間という止まらない『時の流れ』がある事ね。その流れは、誰にも止めることはできない。だから、あなたの歩みも止めることができないの。どんなに一歩が重たくなろうとも、綱を見失いそうになろうとも、いつも前に前に進まないといけない。後戻りもできないわ。一歩も進めないと感じることもあるかもしれないけれど、それでも実際は歩みをは止めていないのよ。

 そして、宇宙に戻って来なければいけない時も決まっている。
 着ぐるみの番号に記されているように、着ぐるみには消費期限があるの。それを地球では、『寿命』と呼んでいるのよ。寿命があるからと言って、寿命の半分が、綱渡りの折り返し地点ってことでは無くて、往路が人生の大半を占め、帰路は一瞬という場合もあるし、逆のパターンもある。それは、それぞれの宿題帳に書いた経験や学びによって異なってくるのよ。
 あとね、寿命を全うする前に帰ってくる場合もあるわ。あなたの光が、宇宙から見えなくなる程に小さくなってしまった時よ。光の充電の為に強制帰還しなければならないの。光を完全に失ってしまえば、地球には存在していなかった者として、地球に吸い取られてしまい、宇宙船との見えない繋がりである『光の糸』が途切れ、用済みになってしまったこの宇宙船は手放さなければいけなくなる。それだけは、私達も避けたいから、宇宙船からの突発的で衝動的な命令によって、地球の旅を終了しなければならない時もあるの。

  最後にもう一つ。
 宿題帳に書いたのは、エリーが地球で学び、経験したい事だってこと。『結果』ではないわ。地球は『行動』の惑星だから、何を考え、選択し、どんな気づきがあるのかによって、それに伴う『結果』は変わってくる。『結果』は宇宙からすると、ただの付属品のようなもの。
 地球感覚に翻弄されてしまうと、本来の目的である完璧ではない地球を楽しむ事を忘れ、学びと経験を積みに来ている事を忘れ、ただただ、目に見える結果や存在ばかりを気にして、感情の浮き沈みに振り回されてしまう。
 まぁ、それも学びの一つだからいいんだけどね。私の後継ぎだからこそ、ついつい何でも教えたくなっちゃった。…はぁ、私もまだ地球感覚が完全に抜け切れていないようね。
 
 さぁ、準備はいいかしら?
ここから一歩踏み出した瞬間に、暗くてフワフワと宇宙のような無重力の世界に行くわ。そこは、エリーが選んだ母親のお腹の中。宇宙と似ているけどちょっと違う。完璧がなくなってしまった『不安』が一気に押し寄せてくる。それが、地球で味わう初めての感情よ。
 外の世界に生まれる瞬間は、慣れてきた母親のお腹の中から離れる孤独と、宇宙とは似ても似つかない環境の変化に、とてつもない大きな不安が押し寄せてくるでしょう。
でも、大丈夫。
 あなたの中から四方八方に溢れ出す、大きな大きな光であなた自身を守り、その光を見た人々は、神々しく愛おしいあなたを、優しく丁寧に抱き上げてくれるから。
 
 地球で起こる全てのことは、この完璧な宇宙にいた、完璧なエリーが決めた事。
だから、全ては計画通り。全ては順調。全てはうまく行っている。
何が起こっても大丈夫。絶対に大丈夫。
 
では、この金色の光の道を通って行ってらっしゃい。あなたが主役よ!」

 

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金色の光の道を通って行ってらっしゃい。あなたが主役よ!


 P.M. 8:11

 街は優雅にキラキラと光輝き陽気な音楽を奏でる中、人々は足早に殺伐とした日々に追われている。
 そんな地球らしい矛盾した季節の月夜に私は誕生し、『宮本 千枝梨(ちえり)』と命名された。