タイトルを考えず、そのままタイトルにしました。

 

私は、タイトルをつけるのが苦手です。

タイトル優先で書き始めることも稀にあり、そういう時は問題ないけど、

言いたいこととか、書きたい文章があって、後からタイトルをつけようとするともう全く無理だったりする。

メールでも、ブログでも、なんでも、一応タイトルを書く場所があって、

空いていると気持ち悪かったり、書かないと次に行けなかったりする。

 

タイトルを考えるというのは、宣伝とか広報とかそっちの仕事であり、

文章を書くというのとは、全く違う分野なのだと実感する。

 

脚本を書いていた頃も、タイトルには本当に苦労した。

それなりに気に入っているものはあるけれど、

それはタイトルが良かったというよりも、完成した芝居そのものが良かったので、

印象としてタイトルも良かったような気がしているだけだと思う。

 

1つだけ、劇団の若い子がタイトルをつけてくれた芝居があった。

私の脚本を読んでから考えてくれたのか、プロットを話して考えて貰ったのか、よく記憶していないのだけれど、考えてきてくれたタイトルが素晴らしく、本当に気に入った。

前述のように、タイトルをつけることが宣伝効果のみだとしたら、

そのタイトルが素晴らしかったかどうかは定かではないのだけれど、

私の脚本の意図から外れず、端的にあるイメージを表してくれたことが素晴らしいと感じた。

たった9文字のタイトルが、ものすごく大きな世界観をイメージさせてくれた。

 

そのタイトルをつける才能が、私にはない。

 

多分、何かを短い文章で表現する才能がないのだと思う。

詩を書くとか論外だし、

絵手紙を描いていた時も、もう本当に苦労して文章を絞り出していた。

結果的に、いつも文章が非常に評判良かったのは、

私に短文の才能があったのではなく、

私に絵の才能がなかったので、文章の方を褒めるしか手がなかったのだと思っている。

 

人には、それぞれ得て不得手があり、

本人が知ろうが知るまいが、

上司やキャスティング権を持った人間が、

その人の能力を最大限に活かせる場所に配置することができたら、

一億総活躍社会になるのだろうなと、

そういった能力を感じさせなかった政治家の言葉をお借りしてみました。