最近、あまり見なくなった景色
駅の改札口近辺で、傘を2本持って帰りを待つ女性の姿。

私が子どものころはよく見た光景です。

我が家は、残念ながらそういう家ではなく、
一度もそういうことはなかった。
そのせいか、
迎えに来てくれと言われても困る。
雨の中、傘を持って駅まで歩いていくなんて面倒って感じてしまう。

でも、最近見なくなった景色だなぁと今考えてみると
この景色は、なかなか情緒がある。

その代わりに最近は郊外の駅のロータリーなどでよく見かけるお迎えの車の列
実際、これは雨の日に限ったことではない。
駅から歩けない距離にマイホームを持つと、
妻が毎日車で旦那を駅まで送り向かいする家は少なくないのだろう。
更に、子どもの送り迎えもしている。
駅のロータリーには、代わる代わるマイカーがやってきては帰っていく。

しかし、この景色には、どうも情緒は感じられない

長く芝居をやってきて、
長く演技を教えてきて、
いつも寂しく思うのは、
情緒的な景色がどんどんなくなっていくことだ。
便利になることは、機械的になることが多く、
そこから人のぬくもりを消していく。

例えば、歯ブラシ。
歯ブラシで歯を磨く様子はドラマとして使えるが、
電動歯ブラシになるとどうも絵にならない。
そのせいか、今だテレビドラマで電動歯ブラシを使用するのはまれだ。
その普及率はいかほどなのか?

便利になることは、必ずしもいいことではない。
でもそれを望む人が居る以上、どんどん研究が進められていくだろう。
出来れば、こちらに選ぶ権利を残してもらいたい。

スマホになって便利になった。
だが、電話代が急激に高くなった。
それほど必要がない人には、安く携帯出来る電話が残っていて欲しいのだ。

携帯電話がある。
LINEがあるので、簡単に帰るメールが出来る。
駅の到着時間も正確に知らせることが出来る。
しかし、もう以前のように傘を持って歩いて駅まで迎えに行く姿はほとんど見られない。
それを寂しく思うのは、やはり年取った人だけなのだろうか?