「ありがとう」は私が最も好きな日本語のひとつ
その言葉をここ数年間違った使われ方をしてむかつくことがある。

役者に指導している立場上、正しい日本語を使う事のみながらず、
そのニュアンス、音、感情などが正しくないと気持ち悪いのだ。

演技指導をしていて、
あまりいい所のない子でも、成長が見えてくるととても嬉しい。
ある日以前より少し声が出てくるようになった子に
「声が出るようになったね。」と言うと、
「ありがとうございます」と言われる。
教える立場としては、
褒めて延ばすという目的も時々あるので、
たいして褒めているわけではないことも多々ある。
そんな時、その言葉を言われて、むかつき(講師なのにσ(^_^;) )
「褒めてないから!」と言い返してしまう私がいる。
何にむかつくかと言うと、正しくない日本語の使い方に、だ。

何度か生徒たちに向かって話をしたことがある。
稽古場と言う場所で、
以前よりも、ここがよくなったと、それだけのことに対して、
「ありがとう」という言葉で返す生徒がここ5年くらいだろうか俄然増えた。
どこかでそういう教育をされているとしか思えないのだ。
先生に褒められた時の返事は「ありがとう」だったっけ?と
心の中で反芻する。
確かに、その返事がいつも間違っているわけではない。
では、何が間違っているのだろうか?
ニュアンスだ!

たいして良くない子に、
つまり他の生徒の方がよっぽど声が出ているのだ。
だけど、以前よりも少し(ほんの少し声が出たようになったから)
その子の今後のためにも「声が出るようになったね」という。
それに対して当たり前のようにニュートラルな音で
「ありがとうございます」と即答されるから、この返答は間違っているのだ。
嬉しい!なんて感情は全く載っていない。
単なる即答なのだ。
これは一体どこで学んできたのだろう?

生徒たちに聞くと、
彼らはそれに対して疑問を持っていない。
当たり前の返答になっている。
多分、小学校とか、中学校とか、
育ってくる間で、
大人たちに何か入れた時にそう言っておけば問題なく済んだのだろう。
と予測する。

しかし、「ありがとう」という言葉を取り立てて愛する私は、
あの無表情で、感動もなく、普通の抑揚のない音で
「ありがとうございます」と言われると
むかつくのだ!!

それは、まさしく私の会話しているわけではなく、
感情なく言葉を返しているだけ。
会話を教える立場としては、
それはそれは気持ち悪いのだ。

ありがたいと思わなければ
「ありがとう」と言わなければいい。
ありがたいと思う気持ちがあれば、
きっと言葉にその気持ちが現れる。
それをくみ取ることが得意なのが、
私たち演技講師だから、
それを見過ごすことは決してない。