ヒュー・グラントの出演作品なので見た。

ヒュー・グラントは特に好きな俳優ではないのだが、

それなりに本数は見ている。

見やすい作品が多いように感じる。

そしてそれなりに魅力をもじる。

最初の印象は、

顔のつくりはかなりハンサムなのに、

なさけない役をやる人だなと。

そして彼の役にはいつもギャグセンス満載だ。

彼が考えているとしか思えない。

何故なら、

いつもどの役でも……だからだ。

顔がハンサムと書いたが、

彼のたれ目はかなりのモノ。

たれ目でなければ本当に綺麗なハンサムだが、

実際あの目のせいで、コメディにもフィットする役者さんなのかも。

彼の作品で印象的だったのは

『アバウト・ア・ボーイ』

『ノッティングヒルの恋人』

『ラブ・アクチュアリー』

などだが、

いやいや、もっとたくさん見ているはずなんだけど……

そしてこの作品。

作品としてはどうってことないモノだったのだが、

ひとつだけ懐かしく気持ちのいい時間を感じられたので特記したい。

それはモノを産みだす苦しみと楽しさである。

落ちぶれたロックミュージシャンが素敵な詩を書く女性と巡り合ったことで

曲を書く気持ちが研ぎ澄まされていく。

そして、二人で部屋の中で作業を進める。

ああでもない、こうでもないと、揉めたり、楽しんだり、

何もない所から、あるモノを産みだすというのは、

言葉のとおり、「産みの苦しみ」だ。

私も芝居を作るために

白紙の状態からの作業をしていたが、

それは役者のように脚本ありきの仕事とは根本的に違う。

そして共同作業もしたことがある。

ある人のアイデアを戯曲にする作業。

これは4,5本しかやったことがないのだが、

楽しいこともあった。(つまり苦しいことも)

会話しているうちに、

いろんなアイデアが出てくる楽しみ。

ウキウキしてくるあの躍動感。

ひらめいた瞬間の喜び。

それからまた脚本にする作業は苦しかったりもするのだが、

それでも完成する喜びがある。

さらに、それを役者が立体の世界へと持って行く楽しみ。

こうやって書いていても、ドキドキしてくる。

あの感覚を思い出すことが出来る。

感じることが出来る。

だから、芸術はやめられなくなるのだ。

しかし、産みの苦しみもすさまじいもので、

あの苦しさを味わうのにも限界を感じるのだ。

つまり、苦しみの後にしか、本当のドキドキワクワクするような喜びはやってこない。

それを求めることで、苦しむか

(実際苦しい時間の方がはるかに長い)

それを求めず、平々凡々と、

日々のささやかな喜びに浸ることを幸せとするかである。

私は、年齢で違っていいように思っているのだ、最近。

これからは、いままでとは違ったモノが幸せと感じられていいように思うのだ。


しかし、あのドキドキは……やっぱり、凄いのだ!!!!